灰色のピーターパン

小説を始めました 人生初の試みです このはてなブログで小説を書くことが正しいのかは不明ですが好きなように綴っていきます

音を売る人 第1話「はじまり」

艶のない青いカプセルが一錠、小さな丸テーブルの上に置かれている

それをただただ見つめながら深い深呼吸をすると、ペットボトルの水を一口飲んだ

8畳しかないアパートの汚れた窓から淡い光が漏れ出すと白いカーテンを開け、外の様子を確認した

自転車に跨るスーツ姿のOLとチワワの散歩をする自分の同い年ぐらいの男が視界に入った

それから数分ぼーとしていると型落ちのiPhoneがうるさく鳴り出した

画面には「松本」の文字

3回目のコールで電話に出てみた

「もしもし…」

「あ、松本です 岳くん…今、電話大丈夫?」

「あ…大丈夫ですけど…なんでしょうか?」

「いやさ ウチで再来週やるイベントがあるんだけどさぁ まだ枠があって…良かったら出てみない?」

「イベントってどんな…」

「大学生とかのコピバンが出たりするマンスリー企画なんだけどぉ 岳くんはよくウチでライブするから直接出られるか聞いちゃおうと思ってさ 今月は人が集まんないのよ」

「はぁ…詳細を送ってくれると助かります 要検討ってことでいいですか?」

「おっけ おっけ じゃあ、また」

電話を切ると同時に溜め息が出た

気が付かないうちに手汗もびっしょりだ

先程見つめていた40mgの塊を胃に流し込むと部屋の片隅に立てかけてあるアコースティックギターを徐に掴んだ

電気も点けていない日光だけが家具を照らす一室でAmを押さえてみる

誰でも奏でられるような何の特徴もない6弦の音色がヤニのついた壁に反響した

また今日も行き場のないドブネズミのような1日が始まる

 

 

 

 

 

 

 

クシャクシャのechoは残り2本

ペラペラの財布の中身は540円とレシートだけ

履き古したデニムと霞んだ白いシャツで

ギターケースを背負ったまま下北沢駅の改札を人混みと共に通り抜けた

相変わらず下北沢と言う街は何かあるようで何もない中途半端な雰囲気が漂っていた

春も終わりを迎えて夏の準備を地球がし始める5月の空気を吸いながら俺はある場所に向かっていた

ケーブルが捻れたことも気にせず、イヤホンでフォークソングを聴きながらトボトボと目的地へと歩き出す

この時の後ろ姿はきっと言葉に表せない虚しさに包まれていたと思う

ファーストフード店から楽しげに出てくる女子高生2人組の笑い声にすら反応を示すことはないまま、突き当たりの角を右に曲がった

しばらく歩き続けると殺伐とした小さなビルが俺に挨拶をしてきた

欠伸をすると、俯き顔で地下へ続く階段を降りていった

目の前には知らないバンドのステッカーだらけの重い扉がある

その扉を開けると顎髭を生やした長髪の男がTシャツ姿でストレッチをしていた

「松田さんお疲れ様です」

「お!岳くん!今日はよろしくね!」

「はい…」

ここはライブハウスで、彼の名は松田耕平

このハコの店長である

どうやら昭和の頃は賑わっていた年季のある老舗のライブハウスらしいのだが今となってはとっくに廃れていて、高校生や大学生の下手くそなコピーバンドぐらいしか利用していない

こんな場所で店長するのも大変なんだろうなぁなんてことを考えているとスタッフからセット図の紙を一枚渡された

しかし、ハッキリ言って別にこんなものはいらない 必要がない

俺は今、音楽活動をしている

本名の式村 岳と言う名前で弾き語りメインのシンガーソングライターとして下北沢を中心に歌を歌っている

バンドをやっているわけでもないし、登場SEなんか決めてない

照明だって照らしてくれれば何でも良い

この紙切れに命を燃やしているのは今日のイベントに一緒に参加する学生バンドたちだけだ

ほとんど白紙の状態でスタッフに返すとすぐに楽屋の様子を伺った

演者が貰うバックステージのパスやポスター、ステッカーなどがベタベタと貼られた壁が特徴的の狭い部屋には和式トイレとボロボロのソファしかない

決して居心地は良くないが、知り合いが誰一人として来ないこのイベントでは楽屋が唯一の避難場所である

楽屋に先客は誰もいないようで、ソファに腰掛けてギターケースからアコースティックギターを取り出し、チューニングを始めることにした

それから、1弦1弦丁寧に鳴らしていると3人組の男子が和気藹々と俺の避難所に入ってきた

「わかるわぁ アイツの講義…あ!おはようございます!」

「な!でも、単位落とせ…おっ、今日はよろしくお願いします!」

「うぃっす」

向こうから明るい挨拶をしてきた

俺はそれをかき消すような陰湿さを含ませた挨拶で返した

「あ、はい…よろしく…です」

俺はすぐにその3人から目を逸らした

ひたすらジャカジャカと適当に思いついた弾ける曲の1フレーズを演奏しては首を傾げてみる

その後、ゾロゾロと大学生のコピーバンドやメンバーが10代のオリジナル曲を持つバンドがライブハウスに入って来た

こんなどうしようもないハコでも人で埋め尽くされればそこそこ賑やかにはなるものだ

ちなみに、俺のライブの出番は6組中5組目

早々にリハを終えると外の喫煙所で一服

暖かい毛糸のマフラーのような風に当たりながらフィルターギリギリまで煙を摂取していると先程挨拶してくれた3ピースのバンドの1人が咥えタバコをしながら会釈をして近寄って来た

「火、いいですか?」

「火?あ、火…どうぞ」

「あざっす」

彼は深めに吸い込むと5、6秒の沈黙を作った

そしてこちらの方を向いて口を開いた

「このイベ、初めてですか?」

「そうですね このハコには世話になってますけど…今日は店長に誘われて…それで…」

「なるほど リハ見てたんですけど、あー言うのなんてヤツなんすか?フォーク?」

「んー まあ、そんな感じのヤツですね」

するとまた10秒程静かになった

ただ、今度は俺の方から話を切り出した

「ちなみにいくつなんですか?」

「俺ですか?二十歳(ハタチ)です!」

「は、はたち… いいね、はたち」

「逆にいくつですか?」

「27…今年で28」

何故かその時、吸い殻を灰皿に押し潰す時の力がいつもより強かった気がした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男女4人組の高校生バンドが自分たちで作ったオリジナル曲を披露している

グダグダのMCだったので、タイトルは忘れたが一通り目立ったミスもなく熟していく

ステージの最前列にはおそらく必死でかき集めたのであろう同級生たちが少し身体を揺らしながら群れを作っていた

俺はそれを一番後ろの壁にもたれながら眺めている 感情なんてものはない

心を無にしてステージの中心を見つめる

しかし、そんなことも束の間

次が自分の出番なので楽屋でスタンバイすることにした

ペットボトルの水を飲みながら心を落ち着かせる これはライブ前の儀式のようなものだ

しばらくiPhoneをいじりながらぼーとしているとスタッフから声を掛けられた

「式村さん!どうぞ!」

準備が整ったようだ 俺は頷いた

しかし、オーディエンスは静寂に包まれている

まあ、仕方ない 想定内だ

俺は何も迷わず板に付いた

そして、ゆっくりと幕が上がる

無難なアルペジオを奏でながら客の様子を確認してみる 

ほとんどがトリのバンド目当てだが、それでも客前で歌を歌えることは貴重だ

この世のリスナーが数千回と聴いてきたであろうコード進行で荒々しいがゆったりとしたストロークから始まる一曲目で式村 岳の自己紹介がしたかった

BPM90で自分自身を曝け出す

こんなに簡単そうで難しいことはない

"這いつくばって 日々を生きる 

 さよならを言うのは まだ早いのさ"

歌う ひたすら歌う

かき鳴らす ひたすらかき鳴らす

橙色のライトに浴びながら25分を使い切る

その思いだけでライブをしてみる

すると、次第に額から汗が吹き出してくる

感情を剥き出しにする

まるでピューマのように

激しく心を動かして振り回す

伸び切った前髪を揺らし、雫を振り乱しながらマイクにキスをする

その勢いで4曲をやり終えた俺に対する歓声はほとんどなく拍手をしてくれたのはたったの3人だけだった

「ありがとうございました」

そう言うと、俺はステージを後にしてタオルで顔の汗を拭った 

疲れ切った表情で楽屋から出ると既にトリのバンドのセッティングが始まっていた

最後はあの3人組 少し気になる

彼らの出番までに少し時間があったので再び外に出て煙草に火をつけた

すっかり夜空が顔を出していて、街頭が街を彩っていた これが下北沢の夜

煙を肺に入れ込むと、火種がパチパチと音を立てる

昼間に比べて冷たい独特の夜風が頬を撫でた

すると、扉の奥からチューニングの狂ったギターのディストーションが爆音で聴こえ出した

煙草の火を消すと、音を辿りに中へ戻ってみる

俺がライブをした時に比べると若い客層で人集りが出来ていた

ピッチの外れたボーカル、ミスタッチの目立つベース、走っているドラム

とても聴けたもんじゃない 

しかも、それはよくある失恋ソングだった

挨拶は気持ち良かったが、彼らの表現する音楽は気持ち良くなかった

ただそれに反して観客のリアクションはポジティヴに見えた

女性の黄色い歓声とおそらく3人の男友達であろう集団の叫び声

眩し過ぎるストロボを背中から浴びる二十歳の3人の演奏を目に焼き付けることにした

それは何故か 俺がこんなレベルの低いイベントにしか呼ばれないと言う既成事実を噛みしめる為に決まっている 

そんなことを考えているとライブはいつの間にか終わっていた

客も捌けていき一気に静かになったライブハウスでは今日の精算が行われていく

俺はこのノルマの為にアルバイトをしているようなもので、それは作業化し、30手前でフリーターを貫く恐怖感すら消えかかっていた

すると、店長の松田が近寄って来た

「今日はありがとうね!また誘うよ」

「こちらこそ…ありがとうございます」

二度と誘うなと心の中で返事をしつつ会釈をしながらその場を去っていった

タバコ吸って歌を歌ってギターを弾くだけ

ただ、それだけ ただ、それだけだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はその後、下北の街を少し散歩していた

飲み屋も多いこの地では何故か真っ直ぐ家に帰りたくない いつもそう思う

駅前の劇場からは恐らく役者志望であろう若い男女が冴えない顔で出てくる

ここにいる人間は夢を抱きながら夢に喰われている バクとは友達なのかもしれない

ヤツに餌を与えているようなものだ

ただ、ひたすらにトボトボと商店街の道を歩いていく 気が済むまでトボトボと

街の雑踏が1つのセッションに聴こえてくる

この演奏に俺も参加したいがそれすら出来ない

もう、どうでもいい

とりあえずコンビニに入ろうと思った

酒でも買って帰ろうと そう思った

しばらく歩くとLEDの看板が見えた

自動ドアが開くとギターケースを背負い直して店内を回ってみる

飲み物のコーナーまで辿り着くと扉の前で何かを吟味している1人の男が立っていた

俺は早く缶ビールが飲みたい

なのでその状況を早く変えたかった

「すいません…」

そう言うとその男は後ろを振り返った

「あ、さぁーせん」

そう返すと、男は位置を少しズラしてみせた

会釈をして数秒、陳列された酒類を眺めた後に扉を開けて商品を手に取ろうとする

その時だ 男と俺の目が合った

先に口を開いたのは向こうからだった

「ん?あれ…もしかして…そうだよね!」

「え?ん?…あぁ」

「岳だよな!久しぶりだなぁ」

「浩充か…こんなとこで何してんだよ」

男は髪をクシャクシャっと片手で掻く

「ライブがあったんだよ マジでめんどくせぇってお前こそ何してんだよ」

「いや…ライブが終わって…ちょっと…」

「なによ お前もライブか って今何してんの? 音楽辞めたんじゃねぇのかよ」

「お前こそライブって何のことだよ」

「はぁ…この後、時間ある?」

俺とその男はコンビニを後にして居酒屋で一杯ひっかけることにした

この男の名は冴島浩充 俺との関係性としては元々組んでいたバンドのメンバー同士にあたる

時代に逆行したアメリカンなガレージロックを垂れ流していた

活動期間は4年で二十歳の頃にお互い知人の紹介で出会ったのだが、当時のベーシストが就職活動をするとのことでバンドは解散

それ以来、誰とも連絡を取っていなかった

つまり、これは約3年ぶりの再会と言えよう

「じゃあ、とりあえず…乾杯」

俺たちはいつの間にか大衆居酒屋にいた

テーブル席で生ジョッキをぶつけるも、喧しい内装に飲み込まれそうになっていた

焼き鳥や枝豆を適当に頼み、まずは現状報告

「へぇー まだドラム叩いてるんだ」

「サポートでね 俺の友達の友達がやってるバンドなんだよ つまんねーぞ?」

「つまんねーって、どんなんやってんのよ」

「流行りのポップスだよ 聴く?ダセーぞ」

「いいよ別に つっても、俺もきっと…同じぐらいダセェよ」

「はっ 弾き語りだっけ? 昔のお前じゃ考えられねぇな」

「昔って…ちょっと前だろ」

「まあな…それより、バイト生活なんだろ?ストレスとかもあんだろーよ」

すると、俺はギターケースのポケットから小さな収納箱を取り出した

そして、それを振ってみせ、カラカラと音を鳴らしてみた

「なにそれ?薬?」

「あぁ 今はこれがないと…やってけない」

「どれ…見してみろよ」

「いいよ やめろって」

「いいから!お前見せたくて出したん…あ?」

ストラテラADHDの薬」

「なるほどな お前、そんな気してたよ」

「は? どう言うことだよ」

「バンドやってた頃から…兆候はあったよって話だよ メンバーだと分かるんだよ 物の順序とかすげー気にしてたり、落ち着かない時多かったろ?」

分かってたのか 俺は急に下をむき出した

何故か目線を合わせられなかった

凍てつく氷のような時間が流れる

しかし、その冷気を纏った時は意外な形で一瞬にして崩れ落ちる

「俺も飲んでんだよ…もっとヤベェの」

「は?急にどうしたんだよ」

リタリンだよ ははっ」

リタリン 勿論、どんな物かは知っていた

全身の血液がフォーミュラのように高速で動き出すのが分かった

生唾を飲み込み、下唇を無意識に噛む

「お前それ…冗談だろ?」

浩充はシャツの胸ポケットに入れていた赤マルを一本、着火させて眉間に皺を寄せた

「マジだよ マジ」

「だってリタリンなんて今時、処方してくれねぇだろ」

「バカ 医者から貰うかよ くれるヤツがいるんだよ 去年から毎月な」

「そう言うのいいわ…ごめん…帰る」

俺は帰りたくなった 荷物をまとめて、お代だけ置いて去ろうとする

「待てよ そんな悪いもんじゃねえよ」

浩充に腕を強く掴まれた 

俺は目の前の男の眼球2つを睨みつける

しばらくの間、この席だけ地元の図書館のような静寂で敷き詰められた

そして、向こうから切り出した

「あのな…俺たちは音楽じゃ夢見れねぇんだよだったら別の方法で夢見るしかねぇだろ」

この時、何かが始まる予感がした