灰色のピーターパン

小説を始めました 人生初の試みです このはてなブログで小説を書くことが正しいのかは不明ですが好きなように綴っていきます

音を売る人 第6話「真剣」

午後1時半 

カーテンの隙間からは暖かい光が差し込んでいた

俺は傷の付いたちゃぶ台に肘をついて薄型の液晶が映し出すお昼のワイドショーを眺めていた

ワイドショーでは中高生に今、人気とされているスイーツが特集されていた

土曜日の昼下がりだと言うのに外はやけに静かで、ある意味心地が良かった

それから数分間、何も考えずにぼーとしていると火にかけていたボロボロのやかんが鳴き始めた

俺はコンロの火を止めるとインスタントコーヒーの粉にお湯を注いだ

本当になんて事ない日常の一コマだ

出来上がったホットコーヒーを砂糖とミルクなしで一口飲むと深く溜め息を吐いた

再びちゃぶ台の前に座るとさり気なく振動したiPhoneが気になり、画面を明るくした

案の定、匿名の迷惑メールの受信通知でもう一度溜め息を吐く

今日はバイトもバンド練習もない

俺はその場に寝転がって天井を見上げた

天井のシミが煌めく星空のように見えた

シミとシミを指で引いた見えない線で結んだりしてみるが心は晴々しない

その時だった ドアのチャイムが鳴り響いた

一度だけ鳴り、数秒後にもう一度鳴った

俺は急いで立ち上がり玄関の前へ走った

クリーム色のドアの真ん中にある覗き穴を確認すると、黒いスーツを着た2人組の男性が姿勢を正して立っていた

俺は面識のない男たちの突然の訪問に心臓の鼓動が速くなるのを感じた

それと同時に全身の血液が高速に流れてぐるぐる回っている感覚を覚えた

そして、銀色のドアノブに手をかけると生唾を飲み込んだ

ドアをゆっくり開けると2人の男は会釈をした

「どうも…突然の訪問で申し訳ありません 私たちはこう言う者でして…」

向かって左側に立っている40代後半ぐらいであろう体格の良い男がこちらに見せてきたのは紛れもなく警察手帳だった

俺は一瞬反応に遅れてしまった

「あ…え? 何の用ですか?」

男は咳払いをして再び口を開いた

「式村さんですよね?用と言うのは…その…ある事件についてお伺いしたくて…」

俺はその瞬間、閃いた 

全身に冷たい汗が流れ始めると同時に相手と目を合わせるのをやめた

ドアノブを強く握り締めていた手が震え始めるのが見てとれた

「じ、事件?僕にはさっぱり…」

すると右側の方に立っていた爽やかな出立ちの刑事がある提案をした

「立ち話もなんですから中でお話を伺ってもよろしいでしょうか?」

俺は即座に下を向いて沈黙を貫いてみせた

「もし、我々が中に上がることが出来る状況ではないのでしたら…署までご同行願えますでしょうか?私たちも特に事前連絡なしで突然の聞き込みを行なっておりますので…そこは大変申し訳なく思って…」

刑事の言葉を遮って答えを出した

「事情聴取ってやつですか? 俺はな、何もしてな…いですよ って言うか…いきなりなんですか」

体格が良い方の刑事が少しだけ明るい顔を見せた

「そんなに長くはかかりません…お話を聞くだけですから」

「話ってなんですか!」

「詳しい捜査内容をこの場でお話しすることは出来ないので署で時間を設けてもらうかご自宅へ上がら…」

「はぁ…分かりました、分かりました…行きますよ、行けば良いんでしょ」

俺は眉間に皺を寄せて頭をかきながらその場にしゃがみ込んだ

冷たくて鋭いよそ風が刑事2人とバンドマンの頬を撫でた

20秒ほど無音が続いたが近所のゴミ捨て場のカラスの鳴き声が静寂を切り裂いた

エレキギターの歪みよりも歪な形をした醜い時間が氾濫した川のように流れている

俺はその流れに逆らうことは出来なかった

人間は面白い生き物だ

その面白いはただ笑える面白さだけではなく奥底に眠る重厚感が滲み出た面白さ

ただそんな人間を代表する私、式村岳

この日に限っては微笑すらしない生物として呼吸をしていたのだった

 

 

 

 

 

 

 

約六畳ほどの薄暗くて無機質な部屋に置かれたパイプ椅子に俺は深く腰掛けていた

目の前には皺一つない黒いスーツを着用した背の高い刑事が座っている

そしてもう1人、メモを取っている若手の刑事が扉の近くで着席していた

部屋の中は俺と刑事の会話と椅子の軋む音、服の擦れる音だけしか聴こえない状態だった

刑事は少しだけ緩んだネクタイを締め直して事情聴取とやらを始めた

「式村さん…任意の事情聴取を承諾して頂きありがとうございます 私は大島と申します よろしくお願いします」

「はい…よろしくお願いします」

「えー 単刀直入にお伺いします あなたはこの男性をご存知ですか?」

刑事の大島は内ポケットにしまっていた一枚の写真を取り出して机の上に置いた

その写真に写るのは紛れもなく…あの九十九だ

俺たちに制裁を下したあの男に間違いなかった

俺はその写真を見た瞬間、首を横に振った

「そうですか…ご存知ない…でも、おかしいですね…」

「なにがですか?」

「この男は先月、麻薬及び向精神薬取締法違反で逮捕されているんですが…その時の取り調べで貴方を含めた複数の男性の名前を挙げているんですよ そうなると…彼が嘘をついていると言うことでよろしいでしょうか?」

「黙秘します…」

「もくひ…ですか… では、次の質問に移ります えー、冴島浩充と言う名前に聞き覚えはございませんか?」

俺は黙り込んで瞬き一つしなかった

そして、口元に手を当てて頬を人差し指でかいた

「嘘をついている人には共通した特徴があります 代表的な例は…瞬きをしない、口元に手を当てる…それから…」

「そ、そそれが…なにか?」

すると何故か大島はニンマリと笑みを浮かべた

左手首につけていた銀色の腕時計のベルトをいじりながら笑みを見せ続けた

そして、今度はメモを取りながら俺たちの話を聞いていたもう1人の刑事と目配せをして大島は彼からクリアファイルを受け取った

大島はその中から一枚の紙を出してこちらに見せてきた

「これ…知ってますか?」

その紙にはある錠剤の写真と用法などが記載されていて薬物に関する資料であることが分かった

ある薬とは勿論…アレでしかなかった

しかし、俺はしらを切ることにした

「さぁ…風邪薬?胃薬?」

「残念…ハズレです これはリタリンと言う向精神薬の一種です 別名、メチルフェニデート

無意識のうちに激しい貧乏ゆすりを始めていたことに気がついたが止めることは出来なかった

「はぁ…それが何か?」

「この薬は通常、ナルコレプシーなどの症状が見られる方に特定の許可を得た病院等が処方出来る流通を厳しく管理されているモノです…そして、先程見せた写真の男はこの薬を勝手に個人のルートで売り捌いて儲けていたんですよ まあ、言うならば売人ってやつです 逮捕理由もそれです」

「だから何が言いたいんですか!」

俺は声を荒げてしまった

すると大島は顔をグッと近づけて睨みつけてきた

「分かりませんか? じゃあ、もう言っちゃいますけど…その冴島氏が昨日の事情聴取でこの売買に関わっていたことを認めました 自ら証言したわけです」

思わずその場から立ち上がった

「え!浩充にも話を聞いてたんですか!」

大島は俺の目を下から抉るように見つめてきた

そのモーションは冷たいカッターナイフのような動きだった

「あれ?冴島さんとお知り合いなんですか?」

「いや…その…知り合いと言うか…その…」

「式村さん…話はここで終わりじゃありません 実は…この冴島さんも我々、警察とのお話の中で貴方がこの一連の事件に関与していると口にしているんです 俺が岳を密売の現場に誘ったと…そう仰っているんです」

「嘘だ!嘘です!ひろ…いや、その冴島ってヤツがありもしない事を言ってるだけです!」

大島は両手を広げて上下に動かす

「式村さん、落ち着いてくだい 我々も自白の強要があってはならないので決めつけなどはしたくないのですが…下の名前で、しかも呼び捨てで呼び合うところから推測するにお二人が親しい仲であることは大方予測がつくのですが…

あとは2人の人物から事件関与の証言が出ていることも考えると…式村さん、そこのところどうなんでしょうか」

俺は再び椅子に座り込み、机に顔を突っ伏してしまった

そして、右手の拳を机に何度も振り下ろして大きな音を鳴らした

「バンドがやりたいんです…」

大島は腕を組んで不思議そうな顔をした

「式村さん…質問に答えてください」

いつの間にか目玉から一筋の透明な液体が頬をつたっていた

「バンドがやりたいんです…今、良い感じなんですよ」

「仰ってることがよく分かりません 質問に答えてください それとも黙秘…」

俺は鼻水も流しながら止まらない涙を手で拭いながら左膝で机を下から殴った

「こんなところで終われないんですよ!まだ始まったばかりなんですよ!音楽がやりたいんですよ!波多野の借金はどうなるんですか!もうバンドしかないんですよ!」

メモを取っていた若手の刑事が急いで自分の持っていたハンカチを俺に渡した

そして、部屋の扉がノックされる音がした

「式村さん、とりあえず落ち着いてください すいません…少し席を外してもよろしいでしょうか?」

俺は頷いて受け取ったハンカチで腫れた両目を押さえた

大島は俺にハンカチを渡したもう1人の刑事を部屋に残して退室した

そして、扉がそっと閉まるのが確認できた

「大島、どうだ?何か聞き出せたか?」

「木本さん、お疲れ様です 気が動転しているようで情報の正確性には欠けますが…もっと詳しく話をしなくちゃいけないようですね…」

大島が部屋の外で話しているのは木本と言う先輩刑事 事情聴取の様子を伺いにきている

「要するに重要参考人か…いいか?丁寧に情報を引き出せ 手荒な真似はよせよ」

「分かってます」

「それと…もう1人の方だが…吐いたぞ」

「え? そ、そうですか…」

その後、約10分は待たされた気がする

すると大島は再び部屋の中に入ってきた

大島は深く椅子に腰掛け、腕時計に視線を移した

そして顔を上げてこちらを見つめる

その後、10秒ほど沈黙が続いたが大島はその静寂を破ってみせた

「式村さん…福士孝太さんと言う方はご存知でしょうか?」

「し、知りません…」

大島は深くため息を吐いた

「バンドメンバーなのに?」

「え?な、なんでそれを…」

「実は福士さんにもこの一連の経緯で話を伺っていて…お二人から薬を買おうとしたが未遂で終わったと…そうお話してくれました」

俺は目頭を指で抑えて天井を見上げた

「くそ…くそ!」

大島は自分の後ろ髪を掴んでいじりながら眉間に皺を寄せた

「この際…本当のことを話して下さい」

人間は愚かだ 完璧だと思っていてもボロが出る

身から出た鯖はとても色濃くて汚れている

そしてその錆を研磨する為には真実と向き合わなければいけない

それは分かっている これぞ真理だ

俺は冷たくて生命を感じないこの機械的な一室で1つの答えと対峙しなくてはいけない

そう言う状況に立たされてしまった

過ぎたるは猶及ばざるが如し

こんな言葉を残した人がいるが…

俺はどんな時も程度が過ぎるのかもしれない

もう、ブレーキが搭載されていないスポーツカーで人生のハイウェイを運転している

心の中央分離帯が壊れそうだ

また残酷な日々が目覚め始めていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白い鉄格子に白い敷布団と枕

少し肌寒く感じる室温が堪らない

そして、俺はいつのまにか上下グレーのスウェットに着替えさせられていた

所々の記憶が飛んでいる 

何故、俺はここにいる…何故だ…

まてよ…そうか…ここは留置所か…

段々と状況が整理されていく

脳内の過去の映像がバラバラになったパズルのピースのような形をしていたがゆっくりと揃っていくのが分かった

俺は勾留されているのか… そうに違いない

夢じゃない、現実だ まるでドラマのようだ

物音一つしない空間で鼓膜は楽器の音を求めていた 只管に求めていた

ギターを弾きたい コードを鳴らしたい

俺はここじゃ終わらない

いや、俺たちはこんなところで終れない

終わってたまるか この気持ちでしかない

その瞬間、何故だか学生時代の思い出が甦ってきた これは恐らく現実逃避の一種だと思う

あれは中学2年生の秋頃の話

学校から帰り道 俺は1人、家路へ向かっていた

陽が沈むのも早くなっていたせいか空はすっかり夕焼けに染まっていた

その橙色の太陽が着ていた紺色のブレザーを照らして今でも忘れられないセンチメンタルを演出していた

暫く無心で歩き続けると歩道橋が見えてくるのが分かった

100円均一で買った安物のヘッドフォンと使い込んだウォークマンを接続させて歩道橋の階段を上る

橋から見える景色は俺の孤独な青春を励ますかのような優しい映像だった

気持ちの良い風が俺の身体を撫でる

そして、再生させたのはOasisのChampagne Supernovaと言う曲だった

「How many……special……people change
How many lives……」

曲を口ずさみながら手提げの学生カバンを開ける

カバンから取り出すのは一枚の答案用紙

その紙切れには赤ペンで丸やレ点が乱雑に記されており30と言う数字が殴り書かれていた

俺はその一枚の紙切れをクシャクシャに握り潰してしまった

そのゴミをズボンのポケットにしまい、再び歩き始めると向かったのはある楽器店だった

そこは個人経営の小さなギターショップで物腰の柔らかそうな店主が静かに営んでいた

暫く細い路地を歩いているとそのお店が顔を覗かせてきた

野崎楽器 赤い看板に白字が印象的だった

俺はガラスの扉をゆっくりと開ける

すると無意識に店主と目が合ってしまった

バンドTシャツを着て口髭を蓄えた小太りの男はレジの椅子に座っていた

そして、読んでいたスポーツ新聞を閉じた

「いらっしゃいませ ん?君か…」

そう言われた時、心臓の鼓動が踊り出した

学校の先生や親戚以外で年上の男性に君なんて呼ばれることはまずない

「いつも来てくれるね ギターやってるの?」

「始めようかなと…思ってまして…」

「そうなんだ 名前は?」

「式村と言います」

「式村君か…その制服ってことは二中の生徒さん?」

「そうです 旭第二中です」

口髭の店主は椅子から立ち上がってエレキギターが飾ってあるコーナーへ向かっていく

俺はその動きを追いかけていった

「ギターは良いぞ なんせ始めた途端にモテるからね こりゃあ、堪らんね」

そんなことはない 

それは数年後、俺自身が実証済みにする

だけどその時の店主の目は透き通っていて…

むしろ邪念など感じない鮮やかさで満ちていた

「すいません…お、お名前は?」

「俺? 野崎一郎 野崎楽器だからそりゃあ野崎だよね ハハッ」

野崎さんは飾ってあった一本の黒いレスポールをシールドでアンプに繋いだ

ボリュームとゲインのつまみを思いっ切り上げる

とてもロックなフィードバックのノイズが店内に響き渡る

そして丸椅子を用意してくれた

「ほらっ 触ってみな」

「でも、弾けませんよ…僕」

「弾けるだろ? このピックでジャカジャカ適当に鳴らしてみなよ それも立派な演奏だ」

俺は漆黒のレスポールを肩に掛けた

木の塊の重みが右肩にズドンとのし掛かる

「コードは…その…Cとか…」

「そんなことはどうだって良いんだよ 何も押さえないでとりあえず鳴らしてみなよ」

ピックで6弦全てを激しく弾いていく

その時の歪みが俺の心を動かした

もう一度、開放弦を鳴らしてみる

それを何度も繰り返した 何度も 何度も

鋭いエレクトリックなサウンドが束になって俺のことを押し倒そうとしてくる

「気に入った? じゃあ、お買い上げ」

「買いませんよ!そもそも幾らですか?コレ」

「えーとね…50万!」

「え?!無理無理無理…試奏させてくれてありがとうございました」

「ハハッ 大人になったら買いにおいで それまでに売れずに残ってたら2、3割引きで売りつけてあげるから」

それは野崎さんなりのジョークだった

ただ、その後の野崎さんの言葉が今でも忘れられずにいる

「だからさ…道外れずに生きてくれよな 大人になっても顔見せに来られるようにさ って…そんな心配すんなって話だよな ジジイの余計なお世話になっちゃうんだけどさ…学生がここに来る度に話してんのよ ロックを理由にメチャクチャな生き方をするのだけはやめろよって 真面目なロックが一番よ」

真面目なロックが一番

この言葉は胸刻むことにした

刻むことにした…はずだったのだが…

どうやらその生き方には反してしまったようだ

そもそも最初から作られた道が泥だらけの畦道だったと言うのにその道の上すら歩かずにこの歳までのうのうと呼吸をし続けてしまった

野崎のおじさん 元気にしているだろうか

そんなことをたまに考えてしまう

いや、しょっちゅう考えてしまう

野崎楽器 俺のプレイヤーとしての原点とも言える場所 まさか勾留中に恋しくなるとは…

情けない話だ 目も当てられない

とその時、俺は身体をピクリとさせた

ぼんやりとした視界を正したくて目を擦った

どうやら俺は居眠りをしていたようだ

そして一気に現実に引き戻される

俺は逮捕されたのだ その事実が一本の槍となって胸を一突きしてくる

これからどうなる これからどうする

怖くて怖くて堪らない 恐ろし過ぎる

無人島に遭難するより津波に襲われるより恐ろしいに決まっている

身体がガタガタ震え出す

医者から処方されている薬が欲しくなった

この感情を抑止するにはどうしたら良いのだろうかと考えた結果、歌を口ずさむしかなかった

「How many……special……people change
How many lives……」

すると遠くから誰かの足音が聴こえてきた

コツコツとその音は次第に大きくなっていく

曲もサビの手前あたりに差し掛かったところで鉄格子の前を看守らしき男が通り過ぎる

俺は歌うのを即座にやめて仰向けになって天井を見上げた

天井の傷と傷を見えない線で結んで無理矢理星座を作ってみる

俺はこれが昔からの癖だ

そしてゆっくりと深呼吸をする

俺は絶対にバンドで成功してみせる

こんなフレーズは世のバンドマンがここぞとばかりに口にしている

だけど、俺の場合は他の奴らとは比較出来ない情熱で溢れている

いや、ここまでくると憎しみに近い

俺は音楽が憎い 

音楽なんかに出会ってしまったが故に今、俺はここで孤独な夜を過ごしている

しかし、音楽があったから今のメンバーに出会えたとも言える

神様、お願いです

真面目なロックを鳴らします

真面目なロックを歌います

だから…チャンスをください

片道で良い 高くても良い

切符を買わしてください

その切符、絶対無駄にはしないから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音を売る人 第5話 「金」

「波多野って言います 宜しくです」

池袋にあるお馴染みのリハーサルスタジオ

そこに波多野と俺たち3人はいた

浩充は明るく受け答えをしていた

「冴島って言います みんなから浩充って下の名前で呼ばれてます よろしく」

2人が握手を交わすと、孝太も続いて自己紹介を始めた

「福士孝太です ベースやってます」

そして、俺がその3人をまとめてみる

「浩充と孝太とは元々バンドを組んでいたんだよ まあ、色々あってまたバンドやることになったんだわ」

俺はスタジオ内に設置されているミキサーのマスターフェーダーを少し下げると、丸椅子に腰掛けてマイクスタンドの高さを調節しながら話を続けた

「もう、2人には事前に話しているけど、波多野は高校時代の同級生 同じ軽音部だった ギターが弾けるし、ある程度上手い…尚且つ暇人 だからこのバンドに誘った」

「暇人って…まあいいや」

孝太は立ったまま顎をかきながら初めて会う波多野と目を合わせる

「波多野さんはどんな音楽が好きなんですか?」

波多野は背負っていたギターケースから赤いレスポールを取り出し、自分のルーツについて語り始めた

「アクモンとか聴いて…ヤベェな、ロックって感じになって…それからギター始めたんですけど…」

浩充はスネアドラムのチューニングをしながら話に混ざってみる

「アクモンってArctic Monkeys?」

シールドをアンプに接続してツマミを動かす波多野

「そうです 高校の時は岳とBrianstormとかカバーしたりして…なぁ?覚えてる?」

俺はエフェクターをセッティングしながら適当に返事をした

「あぁ 覚えてる それより…時間もないから俺たちの曲をとりあえず聴いてくれ」

波多野は一通りの準備を終えると履いているジーンズのポケットに両手を突っ込んで壁に寄りかかった

「どうぞ 感想は最後まで聴いてからにする」

その言葉の10秒後、俺たちはアイコンタクトをして浩充のカウントを合図にオリジナル曲の演奏を始めた

俺は既に歌詞も書き上げてきていた為、ギターを鳴らしながら歌ってみせた

浩充も少し走り気味ではあるが疾走感のある8ビートを叩いてみせた

孝太は良くも悪くもないようなルート弾きで低音を響かせた

"現金をばら撒け 銭が正義の世の中

 愛よりも重くて 価値があるって話だ"

声帯を只管、バイブレーションさせる

汗を流しながら、マイクのヘッドに噛み付く

俺はファズのペダルを踏んで、荒々しいブラッシングを披露した

約3分の轟音を一方的に浴びた波多野は深く頷いた

そして、口を開いた

「カッコいい でも、物足りない感じがする キーはAだよな?」

俺は波多野の目を見て首を縦に振った

「今のままだと、前奏はどこか聴いたことのあるフレーズなんだよね こんなリフどう?」

the pillowsからパクったギダーリフは波多野に瞬時に見抜かれていたようだ

多少、アレンジしてはいるものの"どこか聴いたことのあるフレーズ"で一蹴されてしまった

ギャンブラー波多野はカッティングなどを上手く盛り込んでさらに変化をつけた斬新なリフを演奏し始めた

深紅のレスポールが唸り出す

「俺がこれ弾くから岳はバッキングに徹して歌に集中した方が良い その方がカッコよくなる」

浩充の感心した様子が確認できた

「なるほど そっちの方が良いかも それならドラムも…」

キックのパターンを少し変えたドラムがエンジンをかけ始めた

孝太もそれに合わせて弦を叩いていく

4人の演奏が絶妙に融合するのが分かった

そして、波多野がギターソロを見せつけてきた

膝を床につけて、顔で演奏をする

それに応えるように、俺はダイナミックマイクに唾を飛ばしながらサビを歌い上げた

"Nouveau Riche Oh Yeah

 Nouveau Riche  Come Come"

とても気持ちの良いセッション

これが永遠に続けば良い…

そう思ったその瞬間、波多野のギターを弾く手が止まった

それに合わせて俺たち3人も演奏を中断してしまった

その時、思った

"何かが聴こえる"

俺は眉間に皺を寄せて、聞き耳を立ててみた

すると、ギターのフィードバックのノイズとは別にiPhoneの着信音が鳴っているのが確認出来た

俺は波多野の顔を見つめた

「波多野、電話だろ?出てきても良いぞ」

「お、おう…わ、悪いな」

波多野は慌てた様子でスタジオの扉を開けて外に出た そして、男子トイレに駆け込んだ

iPhoneの画面には見知らぬ携帯電話の番号が表示されていた

波多野は何秒か溜めて、応答した

「はい もしも…」

「おい!波多野!」

「は? え…は、はい あの…どちら」

「惚けるな 俺だ 新沼だ」

「あ…新沼先輩ですか…何の御用件…」

「テメェ…マジで馬鹿にしてるよな? 金返せよ いつになったら返すんだよ」

「あの…その…もう少し待って頂けますか?」

「もう十分待った お前…今どこにいる?」

波多野は震えた手を抑えられずにいた

「い、家です」

「嘘つくんじゃねえ 今、お前の家の前にいるんだけど 本当はどこだ、言え!」

「セッションって言う…スタジオにいます スタジオ・セッション池袋店です」

「そこから動くなよ 回収しに行くから」

すると電話相手はすぐに通話を切った

波多野は足先まで震え出して、休憩スペースの椅子に座り込んでしまった

頭を抱えて下唇を噛み、視線は地面から動かさなかった

次第にその足の震えは貧乏ゆすりに変わり、顔色が青ざめていく

その後、ポケットにねじ込んでいた折り畳みの財布を広げた

中には千円札3枚と100円玉が4枚、後はクシャクシャのレシートしか入っていなかった

店内に広がる名前も知らないインディーロックのサウンドが戦慄のBGMと変貌を遂げた

それから約10分後、俺たちは奴の様子を確認しにスタジオの外へ出た

そこにはどんよりとした空気を漂わせた波多野が真顔でそこにいた

俺は溜め息を吐き、近付いてみた

「波多野…どうした?具合でも悪いのか?」

浩充は煙草に火をつけてチノパンの上から膝を掻きながら喋り出す

「波多野さん、何でも言ってください」

孝太もペットボトルの水を一口飲んで、頷く

そして、波多野は顔を上げて、苦笑いを見せた

「今から借金の取り立てが来る」

俺は思わず大声を出してしまった

「はぁ?!き、金融屋から?」

「金融屋じゃない…」

「だって直接電話してくるって闇金とか…」

闇金なんか今時いないよ 漫画の世界だ」

浩充は半分も吸ってない煙草を灰皿に押し付けて、落胆した表情で俺の方を見つめた

「岳…どう言うことだよ コイツに借金あるなんて聞いてねぇぞ」

孝太は空のペットボトルをゴミ箱に捨てて、その場を宥めた

「浩充…"コイツ"はないよ 波多野さんでしょ 初対面だよ?」

「孝太、緩いこと言ってんじゃねえよ! 波多野さん…借金は幾らあるんだよ」

波多野は浩充から目を逸らした

「波多野、大事なことだ 言ってくれ…額によっては考えもんだぞ」

それから約1時間、波多野は借金の額を中々俺たちに言えぬままでいた

若干、話をすり替えては「練習に戻ろう」の一点張りだった

浩充も苛立ちを隠せずにいた

「アンタさ…こんな状況で練習に戻れるわけねぇだろ 詳しいこと話してくれって」

「そ、それは…その…」

その時、地上に続く階段から冷たい足音が聴こえた

血の通っていない無機質な靴の音だった

その音は段々と俺たちの方に近付いてくる

そこで、姿を現したのはウルフカットの金髪に白い無地のTシャツを着た身長180センチ後半の大男だった

筋肉質で右腕には黒一色の和彫りが刻まれていた

左手の人差し指には金の指輪が嵌められており、紺色のカーゴパンツがよく似合っていた

男は鋭い目付きでこちらを睨み付けてくる

波多野は口を半開きにしてその様を見上げた

「よぉ…波多野 久しぶりだな」

俺は生唾を飲み込んで、勇気を振り絞り質問をしてみた

「あの…どちら様で…」

「お前らには関係ねえ そもそも、コイツら誰なんだよ テメェ…1人じゃねえのかよ」

「お、お金ならありません!」

「波多野…面白いこと言うじゃん 無くても返してもらうもんは…返してもらうんだよ! つーか…お前、俺のこと馬鹿にしてんだよな?なぁ?」

男は波多野の前髪を掴んで離さない

波多野は黙り込んでしまった

「お前らが何者かは知らねえけど、コイツには俺からの…いや、俺たちからの借金があるんだよ」

孝太は単刀直入に聞くことにした

「幾らですか…借金」

男は即答だった

「70万 波多野!コイツらに俺のこと紹介しろ!端的に!」

「あ、あの…この人は俺が解体現場のアルバイトをしていた頃の先輩…新沼さん」

「そう 金融屋じゃねえから安心しろ ただ、俺とか俺のダチからちょこちょこ借りて…膨れ上がった70万って大金、こっちも泣き寝入りするわけには行かねえんだよ」

正論だ 本当に波多野が70万と言う大金を借りたまま返していないのであれば大問題だ

「借用書もあるから、逃れられねぇぞ 早く返せよ 今返せ」

俺たち3人は新沼と言う男と目を合わせずにいた

そして、波多野は震えた声で必死に抵抗した

「い、今は無理です!」

新沼は自分の頬の近くで人差し指を斜めに動かしながら、波多野の耳元で恐ろしいことを囁いた

「お前さ…俺の親戚にコレがいるのも前に教えたよな? 他にお前が金借りてる人間の中にも元々族の奴とかもいるんだぞ? お前がパチンコとか酒をやめねぇから…こうなったんだ 山に埋められたくなければとっとと返せ」

俺は困り顔をしている受付の店員が視界に入った 

孝太もそれに気が付き、店員に向かって両手を合わせて申し訳なさそうな顔をしていた

波多野は涙目になりながら膝に手を置いて新沼の目を見て小声で言葉を発した

「返せません すいません」

その直後、俺は新沼の後ろの壁に貼られていたポスターが目に入った

さらに、そこに書かれていた文章を黙読した

そして、1分近く続く沈黙を破ってみることにした

「返せます だから、もう少し待ってください」

新沼は拍子抜けした表情を見せた

「はぁ?! 根拠は?」

「まだそこは分かりません けど、コイツの借金は返せるかもしれません」

「かもしれませんって… アホか 確証もねえ宣言を受け入れられるか それともあれか?お前らが金をかき集めてやるってことか?」

「そうじゃないです!でも、もし上手くいったら年末には返せます!」

浩充は呆れ顔で仲裁に入る

「何言ってんだよ、岳 頭おかしいのか? そもそも何で俺たちがコイツの借金返済を手伝わ…」

「方法はある!だから、待っててください!」

「はぁ…いつまで待てば良いんだ?」

「今年中には決着をつけます!お願いします!」

俺は同級生の為に頭を下げた

深々と下げてみせた

波多野も何に対してのお辞儀なのか理解出来てはいないが、同じ動きをしていた

浩充はその一連の動作を見て、頭を掻きむしった

「なんだかよく分かんねえけど…波多野!俺は諦めねえぞ…また連絡する」

孝太は新沼が最後に舌打ちをしてスタジオの階段を登っていくのを見送った

その後、全員でその場に崩れ落ちた

俺は地べたに座り込み、浩充の肩に手を置いた

「お前、何言ってんだよ…マジで…もう!俺たちだって普段から金がねぇって言ってんのに、どこにコイツの…いや、波多野さんの借金を返す当てがあるんだよ」

そうすると、俺はその場からすぐに立ち上がり、先程目にしたポスターを指差した

「浩充…当てはコレだよ… 俺たちはコレに参加する」

孝太はそのポスターを暫く見つめてニタリと笑みを浮かべた

「なるほどね… ハハッ 凄いこと考えるね」

波多野は目を細めながら壁に近づいた

「ROCK OF DIAMOND…優勝賞金200万…」

いつもより早めに真夏のピークが去った9月の上旬

俺たち4人は腕を組みながら一枚の印刷紙を眺めている

金が欲しい 金は大事だ 

そう痛感する

でも、もっと大事なことがある

それは目標を立てることだ

目指すものが無ければ人間は生きてる意味がないのだ

店内の自動販売機のボタンの光がリズミカルに点滅してる

俺はその光よりも倍速でリズムを刻んでいた

そして、そのビートは止まりはしないのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄汚れた木製のテーブルにビールジョッキが4つ運ばれてくる

キンキンに冷えた生ビールが寂しそうにしている

我々、4人は年の功なら70代前半と言った感じの板前が店を切り盛りする個人経営の大衆居酒屋で浮かない顔をしていた

俺は片目を擦りながら仕切り始める

「じゃあ、とりあえず乾杯」

浩充も孝太も波多野も無言でガラスとガラスを軽くぶつけると、少しだけ口をつけて再び黙り込む始末

その後、小鉢に盛り付けられたお通しのサラダも到着するが、誰1人としてテンションの上がった様子ではない

俺はあるサイトの検索画面を表示させた状態のiPhoneを机の上に出した

画面にはROCK OF DIAMONDの文字

二、三回スクロールすると下部には"ネットエントリー受付中"の項目があった

浩充はそれを見て鼻で笑った

「あのよ…ネットエントリーするのは構わないけど、注意事項読んでみろよ ほら、ここ!オリジナルの楽曲を披露出来るバンドのみエントリー可 曲なんか出来てねえじゃん! 無理だ やめとけ」

俺は煙草を咥えると説明を始めた

「これから作る 応募の締め切りまでに 確かにネットエントリーする上で音源のリンクを貼らなくちゃいけない YouTubeにUPすることも含めてあと1ヶ月で完成させる」

波多野は肩を窄めながら、言う

「無茶だ 曲作ってレコーディングもしてYouTubeに上げる全部の工程を1ヶ月でやるなんて無茶過ぎる」

「無理って言うから無理になるんだ」

「なぁ…岳 俺の借金は俺の問題だ 自分で返していく だから、大丈夫だよ」

「そうはいかない」

孝太は麦芽とホップを体内に流し込みながらサラダを摘んでみる

「なんでだよ 俺は今日、波多野さんと初対面なのにこんな展開になってるの…正直受け入れられないし、波多野さんだってこう言って…」

俺は孝太の言葉を遮った

「俺が誘ったからだ 本来、俺たちとは無関係なはずだった波多野をギターが上手いから、曲作りをする上で必要だから、同級生でお互いのことをよく知っているからって理由でリードギターとして誘ったのはこの俺だ…責任がある」

浩充はニコチンを俺の目の前に撒き散らす

「勝手な理由だな…お前は勝手だよ」

「勝手だよな…分かってる でも…」

「でも?」

孝太は足を組んで椅子の背もたれに体重を預けて俺のことを横目で見ている

「賞金は200万だ 70万をそこから引いたとしても130万残る そのうちの120万を波多野以外の俺たち3人で山分け出来る 残りの10万は波多野もこのバンドのメンバーになることはほぼ確定なわけだし、その証として渡す これなら文句ないだろ?」

「1人40万か…」

「そもそも、波多野さんの加入は決定なの?」

波多野は俺たち3人のことをじっと見つめて宣言した

「バンドに入りたいです!最初はそんなつもりなかったけど…こんなに俺のことを考えてくれる同級生の組んでいるバンドなら…俺、真剣にギター弾きます!お願いします!」

俺は説明を続けた

「エントリー用の音源は一曲で良いんだぜ?後は各審査までにコツコツ作っていけば良い 4曲あればライブも問題はない 波多野は金にだらしないだけで、根は良い奴だ 保証する これでどうだ?」

浩充は読んでいたメニュー表を閉じて、握り拳を2つ作ってテーブルを叩いた

「ったく…分かった! このコンテストに出よう!その代わり…絶対優勝するぞ?」

孝太は半笑いで店員呼び出しのボタンを押した

「まあ、コンテストはバンドの名前を売るチャンスでもあるしね!岳と浩充と波多野さん…いや、ハタちゃんに着いていくよ!」

「ハタちゃん?!そ、その呼び方は…」

浩充は波多野と目を合わせた

「うるせえよ!文句言ってんじゃねえよ じゃあ、俺はハタな よろしく、ハタ」

波多野は顔を赤くして、ビールを一気に飲み干す 俺は波多野と肩を組んで笑みをこぼした

それから数秒後に店員がやってくると、浩充と孝太は適当につまめる物を頼んだ

俺はサラダを食べながら天井を見上げた

年季の入った内装はやけに味がある

そんなことを考えていると、浩充は波多野にある質問を投げかけた

「そう言えばさっきの新沼…だっけ? 身内にカタギじゃない奴がいるって啖呵切ってたけど…何者なの?」

「あぁ…新沼さんは元ヤンでバイクの走り屋だったんだよ んで、あの人の母方の叔父さんが組織の人間だったらしい もう除籍処分になって足は洗ったみたいだけど…まあ、脅し文句でしょ?」

「走り屋ねぇ…まあ、これからはペースを上げてくから練習も曲作りも頑張っていこう!」

波多野は深く頷いて加熱式タバコのスイッチを入れた

俺は無性に腹が減ってきて、店員が運んできた唐揚げや刺身を黙々と食べ進めた

浩充と孝太も揚げ豆腐や魚の塩焼きに食らいつく

その姿を波多野は優しそうな目で眺めていた

その後、店内は次第に客で溢れ返り騒がしくなり始めた

初老の店主も慌ただしく調理に追われていた

すると、波多野が咳払いをした後に語り出した

それは、中学生が話すような無邪気なロックがテーマだった

「みんなは…一番よく聴いたロックのアルバムって何?」

孝太はクスッと笑いながら箸を止めた

「フフッ ハタちゃん、いきなりどうしたの」

「いやぁ…こう言う話、してみたくて…」

浩充はいつの間にか頼んでいたハイボールを喉に流し込む

そして、回答した

「やっぱり…Harlem Jetsかなぁ…」

ブランキーの?名盤だよねぇ 福士君は?」

「んー なんだろうなぁ… The Beatlesだとは思うんだけど… どれだっけ」

「おい カッコつけんな お前からThe Beatlesのビの字も聞いたことねぇよ」

「岳、これはマジだって 決めつけんなよ」

「そんな岳はどうなんだよ」

「俺はレイジの1st一択だな アレは死ぬほど聴いたよ」

「レイジなぁ…で、ハタは?」

「俺は…やっぱりアクモンの2ndかなぁ…」

俺は皆んなの顔を見て、呟いた

「なんか…良いな、こう言うの」

しかし、すぐに浩充にツッコまれてしまった

「なんだそれ…キモいな」

音楽の話をアテに酒を飲む

これは何歳になっても繰り広げてしまう

そして、どんなつまみよりも味がする

名盤を語り、楽器への愛を吐露する

そこには大きな夢を交えて希望も語る

灰皿に愛が溜まり、不安が胃の中に消えていく

大声で笑い、喜びをテーブルにかき集めた

それから1時間近くは経っていたと思う

他の客は程よい時間で店を去っていく

しかし、俺たちはその場を離れなかった

閉店ギリギリまで熱くなった

最終的には本気で本音をぶつけ合った

そして、俺たちは満足げな表情で周りを見渡した

やけに静かだと思ったら、店内の客は俺たちだけだった

すると、厨房からあの店主がこちらに向かってきた

「もう店閉めるよ お会計して」

浩充は伝票を手に取り、椅子から立ち上がった

その時、割烹着姿のオヤジがこう聞いてきた

「ところで兄ちゃんたち…何やってる人?」

俺は素直にこう答えた

「バンドマンです!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暖かみのない照明に照らされた待合室

俺は物音一つしかない空間に佇んでいた

壁に設置されたモニターにはお昼のワイドショーが映し出されている

何故か俺はその映像を見ながら貧乏ゆすりをしていた

履いていたジーンズのポケットから板ガムを一枚取り出すと乱暴に噛んでみる

深く深呼吸をすると天井を見上げた

わざと音がするようにくちゃくちゃと噛みながら目を瞑って考え事を始めた

それはバンドの事や将来の事だった

答えの出ないようなストリートを頭の中に描き出す

そんな時間を過ごしていると30代前後の清潔感が漂う女性看護師に声をかけられた

「式村さん 2番の診察室へ、どうぞ」

俺は慌てて立ち上がった

噛んでいたガムはまだ味がしたが、包み紙に捨てて診察室へ向かった

冷たい廊下が俺に挨拶をした

スライド式の扉をゆっくりと開けると、部屋の中には1人の中年男性が回転椅子に座っていた

汚れ一つない白衣を身に纏い、書類に目を通す男の名前は高橋 精神科医

俺は会釈をすると高橋の目の前にある椅子に腰掛けた

「どうも…式村さん お久しぶりです」

「お、お久しぶりです…」

高橋はカルテと思われるファイルをペラペラと捲りながら胸ポケットに挟んでいたボールペンを握った

「最近、どうですか?調子の方は…」

「んー まあ、あまり変わらず…」

「物忘れとかは…まだ多い?」

「それは少なくなりましたね…」

「そうですか…なるほどね…」

すると、平凡な精神科医は何かをメモし始めた

そして、それを見ていた俺は口を開いた

「先生!あの…」

高橋はメモを取る手を止めた

「ん?どうしました?」

「先生は…世の中、お金が全てだと思いますか?」

白衣の男はニタリと笑った

「いきなりどうしたのよ」

「先生、真剣に聞いています」

「そうね…お金か…僕はお金が全てだとは思いませんね」

「それは…どうして?」

高橋は暖かみのある顔付きになった

「例えば式村さんは今、ADHDと言う症状と戦っていますよね?これは極端な話になりますが、そんな式村さんが一億円を手にしたとします…そうすると美味しいモノも食べ放題だし、良い車も買えますよね?」

「はい そうですね」

「でも、"ADHDの症状が治る"なんて保証はないですよね?」

「ま、まあ…」

「世の中、必ずお金で解決出来る事ばかりじゃないんですよ これはあくまでも僕の意見ですけどね…」

俺はゆっくりと頷いた

「だけど、何でそんな事を…」

「いや、最近…お金に関して考えさせられることが色々ありまして」

高橋は優しい微笑みを投げかけた

俺は頭を掻きながら笑みを返した

「それで…どうします?ストラテラの処方は継続していきますか?」

そう聞かれ、背筋を何故かピンと伸ばした

「お願いします」

その後、俺は暫く問診を受けて、診察室を出た

受付の看護師と目が合ったが気にせず、柔らかい長椅子に座り込んだ

そして、膝に手を置いて床を見つめた

精神科医の言葉が脳内を浮遊する

"お金が全てじゃない"

実は俺もそう思っている

いや、そう信じたいだけだった

諭吉に笑われても構わない

それでも、紙切れと戦いたい

俺たちクズは五円玉を抱えて正義を振り翳すのだ

そして、その正義を音に変える

それが、バンドマンだ

これから長く険しい人生と言う名のライブを演奏しなくてはいけない

それにしては前奏が長い

もしかしたら、これはまだゲネプロに過ぎないのかもしれない

酷いけど輝かしい生活が再び彩り始めた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音を売る人 第4話「創作」

バーコードリーダーを握る深夜1時

俺は薄汚れた作業着姿の男が選んだ惣菜パンとペットボトルのお茶の会計を済ませるとお釣りとレシートを渡した

男が何も言わずに退店していくのを確認すると耐えきれず、大きな欠伸をした

俺は未だにコンビニのアルバイト生活から抜け出せずにいる

そして、もうそろそろ社員になることを打診されてもおかしくない月日が経とうとしていた

昨日は渋谷のCDショップに何も買わないのに暫く入り浸り、3人で音楽談義に花を咲かせた

しかし、夜勤の時間になると一気に現実に引き戻される

そんなことをレジの前に立ちながら考えていると横から俺を呼ぶ声がした

「シキムラサン サイキンドウ?」

カタコトの日本語で調子を聞かれた

何気ない会話を始めようとしてきたのはバイト仲間の留学生・キムであった

出身は韓国で日本の大学に通っており、夜勤ではシフトが被ることが多い

「どうって…まあまあかな」

「オンガクヤッテルノ?」

「あぁ たまにね…1人で歌ったりするかな」

「マダヤッテルノカ ナルホド」

「キム君は最近どうなのよ?」

「ボクハ…ベンキョウバッカリ」

「そっか 頑張ってね」

それから店内には物音がしなくなった

お互い言葉を発さず、沈黙が続いた

まるで黙祷の時間のようだ

お客の来る気配もなく、近くの道路からは車の走行音すらしない

するとキムは再び話し始めた

「コンド、シキムラサンノライブ…イキタイ」

「ハハッ 来てもいいけど…あ、そうだ」

「ナニナニ?」

「どうせならバンドのライブ見に来てよ」

「バンド?!ハジメタノ?」

「そうそう 今すぐには出来ないけどいつかライブするからその時は…」

「イクイク ゼッタイイク」

俺は背伸びをながらもう一度欠伸をし、腕のストレッチを始めた

「キム君はどんな音楽を聴くの?」

「ボクハネ ニホンノロックガスキ」

「マジで? 好きなバンドは?」

「ンー ブルーハーツカナ」

「へぇー 良いね 俺も好きだなぁ」

「ソレヨリ…ソノテハドウシタノ?」

俺は包帯で巻かれた左手を右手で掴んだ

「あ、これ?家で料理してたら怪我しちゃってさ 普段やんないことやるもんじゃないよね」

所々誤魔化しつつ、起伏のない話していると履いていたチノパンのポケットが振動するが分かった

iPhoneがお馴染みの着信音を奏でた

俺はキムにレジを任せて裏の従業員専用の部屋に行き、液晶画面を確認した

そこには福士孝太の文字 応答してみる

「もしもし どうした?」

「バイト中だったよね ごめん」

「うん なに?」

「いやさ 明後日スタジオ入らない?」

「スタジオか… いいけど…何するの?」

「曲作ろうよ 前に活動してた時に作った曲は思い出そうとしても曖昧だし、新鮮さにも欠けるからさ」

「やる気になると早いんだよな、お前らは まあ、いいや お昼頃にするか 予約しといて」

「あ、手は…大丈夫?」

「ギターなら無理してでも弾くよ じゃあ」

俺はそう言って電話を切ると再びレジの定位置に戻る

キムと目が合ってお互いニヤリと笑みを浮かべた

暇で良いことなんか何一つない

でも、今日は良い日かもしれない

何故ならたった今、暇じゃなくなったからだ

これは哲学だ

ニーチェゲーテも頷いてくれるはずだ

 

 

 

 

 

 

 

俺たち3人は池袋の某リハーサルスタジオで楽器を片手に熱論を繰り広げていた

少し肌寒いぐらいの空調が全くの効果を示さない程に俺たちの心の熱は滾っていた

浩充はドラムスティックを小さな練習パッドに打ち付けながらリズミカルに会話を弾ませていく

「基本的に岳が曲のベースを作ってくる その方が良いと思う」

孝太はベースのペグを弄りながら只管頷く

俺はアンプを通していないエレキギターをチャキチャキ鳴らしながら饒舌に語り始めた

「そうするか 俺がギターでフレーズを考えてきて…それに2人が合わせてセッションする そして、ジャムりながらメロディーを考える

細かいところは後で微調整するとして…歌詞はその後だな」

そうすると俺は徐にレンタルしたストラトキャスターをアンプに通してボリュームをある程度まで上げてみる

フィードバックのノイズがスタジオ内を走り回る

そして、適当なギダーリフを演奏し始めた

感覚だけで弾いたそれは、山中さわお率いるthe pillowsのサードアイと言う曲のイントロをパクったようなフレーズだった

拙いピッキングのあどけないサウンド

ミスタッチも気にせず、このリフを何周も弾き続ける

すると何故かそれに合わせて孝太がベースを弾き始めた

俺の運指を凝視しながら何とか食らいついてる感じがした

そうなると浩充もリズムを身体全身でとりながら心の中でカウントを取り、自然な形で8ビートを響かせる

三位一体とまでは言わないが不思議なことにちゃんとしたセッションにはなっていた

暫くの間、演奏を続けると浩充がドラムを叩く手を止めた

「なぁ…今の良くね?」

孝太はベースのネックをクロスで拭きながらそれに同意した

「俺もそう思った!適当に考えたの?」

the pillowsっぽいリフを弾いただけだよ」

「これもっと練れば良い曲になるよ!」

浩充がドラムスティックでカウントを取ると再び同じ演奏が再開された

C→Amが繰り返されるコード進行

乾いたスネアの音が響くドラム

俺はこれに鼻歌を乗せてみることにした

思いつくがままのメロディーを吐き出す

次第に俺や2人の演奏は轟音と化していく

髪の毛を振り乱しながらマイクに噛み付き、鼻歌から叫びに変わっていく

額に緩い汗をかく3人の激しいプレイはいつのまにか名前の無いバトルに変貌を遂げていた

この時間がいつまでも続く気がした

その時、俺は2人とアイコンタクトを取って曲を終わらそうとギターのネックを縦に振った

浩充は派手なタムワークを披露し、孝太も弦を叩いて荒々しさを演出した

その後はフィードバックのノイズだけがスタジオの中を走り回った

俺はペットボトルの水を一口飲むと丸椅子に腰を掛けて下を向いた

「今のヤバいね ちゃんと曲にしよう」

そう言ったのは浩充だった

「おう…久しぶりにこんなギター弾いたわ」

「やっぱり弾き語りばっかりやってるとこう言うの新鮮でしょ?」

孝太の鋭い問いかけを避けることは出来なかった

「そうだね…やっぱりバンド楽しいわ」

「そうだ!今の忘れねぇうちにメモしとこうぜ ホワイトボード借りてくるわ」

浩充は曲の構成をメモしたかったのか、ホワイトボードをレンタルする為に受付に向かった

そして、俺と孝太だけの空間がそこには残った

「岳って…どうしてギター始めたの?」

俺はストラトをギタースタンドに置くと、壁に寄り掛かりながら長くなりそうな話を垂れ流そうとした

「んーとね…俺は10個も離れてる従兄弟がいるんだけど、その従兄弟がギターやっててさ よく遊んだりしてて…その延長で何となく始めんだよね でも、その途中でレイジに出会ってさ」

Rage Against the Machine?」

「そうそう それでトム・モレロの演奏を見ちゃったもんだからさ…それからはギターの虜ですよ」

「なるほどね あるあるだよね」

「あるあるか? まあ、エレキは楽しいよ」

「だけど…今、やってる音楽ってそれとはちょっと違くない?」

俺は再び水を口に含んだ

そして、ポケットにしまってあるiPhoneを取り出し、足を組みながら意味もなく触り出す

「あくまでレイジはきっかけだよ 今は聴かないしね やりたい音楽はロックンロールを感じるモノであれば何でも良いんだ」

「へぇー そうなんだ」

するとその時、重い二重扉が開いた

慌てた様子で浩充が目玉をまん丸にして膝に手を当てながらこちらを見つめる

荒い息遣いで呼吸は乱れていた

「ど、どうしたんだよ」

「て、テレビ見てみろ!こっちだ!」

「はぁ?なんだよ…」

俺と孝太は浩充にテレビが設置されているロビーまで連れて行かされた

俺は"何事だ?"と驚いた心を隠せぬまま薄型の液晶画面の目の前に立った

そこにはある程度は予想していた事実が電波に乗っていた

孝太も呆然と立ち尽くすことしか出来ずにいた

勿論、それは浩充も俺も同じだった

「只今入ってきたニュースによりますと…経営業を営む九十九隆太容疑者40歳が麻薬及び向精神薬取締法違反の疑いで逮捕された、との情報が入ってきました

警視庁の取り調べに対し、九十九容疑者は容疑を否認しているとのことで…」

俺は生唾を飲み込んだ

孝太は口を半開きにして顔を顰めていた

「これって…あの…九十九だよな?」

俺の強ばった質問に浩充は回答した

「あぁ…その九十九だよ…」

「でも…リタだけでこんなスピードでパクられたりする…の?いや、分かんないけど」

孝太の何気ない疑問にも浩充は冷静だった

「他のクスリもビジネスとして扱ってたんだと思う 恐らく"紙"とか…」

俺は近くにあった丸テーブルの椅子に座ってタバコに火をつけると、肘をつき、親指をこめかみに押しつけながら画面の向こうのアナウンサーを見つめて言葉を溢した

「それより…俺たち大丈夫だよな?」

浩充も俺の隣の椅子に座り込んだ

「それは分からない…九十九やその周りの人間が俺たちの話を警察にしたら捲れるかもしれない」

孝太は備長炭よりも黒々とした浩充の恐ろしい推測を宥める

「でもさ!俺は実際に2人からは買ってないわけだし…2人だってあの仕事半年もやってないんでしょ?」

「俺は4ヶ月…岳は2回しか売り買いの場は立ち会ってない」

「じゃあ、大丈夫だよ!」

「だと、良いがな…」

ニュースは面白い

今日何が起きたのかを集約して伝える行為自体が面白いのだ

俺はそう捉えている

しかし しかしだ

たった今、16:9の画角から放たれる戦慄の一言では収まり切らない情報は全く面白くない

俺たち3人を殺しにかかっている

映像は鋭く尖ったナイフだ

これだけは分かる

何故なら、既に俺の扁桃体は速報と言う名の刃でズタズタに切り刻まれているからだ

そこの君はどうだい?

人の不幸は…面白いよな

こうも立場によって感情の差があるわけだ

俺たちはまた何かを失って何かを学んだ気がした

 

 

 

 

 

 

騒音と眩しい光が喧嘩をしている店内を1人の男が動き回っていた

男は階段を使い、二階に上がると数分間、何か考え事をした後に1つの台に的を絞った

台と言うのだから勿論、パチンコのことである

使い古された椅子に腰掛けると、一万円札を現金投入口に流し込んだ

上皿に玉が溜まっていくのを確認し、ハンドルを握りる

銀色の玉が釘に当たり、跳ね返る様を眺めながら貧乏ゆすりを始めた

男はただの雑音でしかない音楽を浴びながら玉を減らしていく

台の画面の映像が忙しなく切り替わり、紫や赤に光り出す

その時、下皿に置いていたiPhoneがブルブルと震え出した

視界に入ったのは"式村"の文字だった

男は舌打ちをしつつも4コール目ぐらいで応答した

「はい なんだよ 久しぶりじゃん」

「あっ 波多野...出るの早いな」

「うるせぇよ なんだよ、用件先言えよ」

「あのさ...ギターってまだ...弾いてる?」

「弾いてたら...なんだよ なんかあんのかよ」

「ちょっとさ 場所変えてくれる?うるさっ お前どこにいるんだよ」

「いやぁ これ、甘デジとか言ってるけど嘘だろ あー 緑保留か」

「おい!聞いてんのかよ!おい!」

「わかったよ わかった ちょっと待ってろ」

そう言うと男は荷物をまとめて台から離れる

男は面倒臭そうな足取りで店の外へ出ると、地面に唾を吐いて頭を掻いた

「それで...ギターがなんだって」

「いやさぁ 単刀直入に聞くけど...バンドとかやる気...」

「ない!以上」

波多野と言う男は即答だった
どんな問いかけなのかを瞬時で判断出来る男なのか、全てに対して否定をしてくる男なのかは謎であるが、答えは1つだった

「まだ最後まで言ってないじゃん」

「バンドのお誘いだろ?結構です」

その声は冷たくて感情が滅んで形を失くしていた

「はぁ...そうか 悪かったな 突然電話して... じゃぁ」

「おう あ、でも...岳、ちょっと待て」

それは意外なレスポンスだった

「ん?なに?」

「あのさ...久しぶりに会ってはみたいかな バンドがどうこうとかは別にして」

波多野の言葉の音が次第に丸くなっていくのが分かった

「あぁ それはいいよ いつ?」

「今日!今日の夜 いつものファミレス...ほら 亀戸駅の近くにある...ほら」

「あぁ はいはい あそこね って今日かよ 別に空いてるけど」

「お前から電話したんだろーが 7時な また連絡する」

通話は品もなく、乱暴に切れた

「ちょっ なんだよ...勝手だな」
世界一簡易的であろう通話はすぐに終わりを迎えた

そして、波多野は再び金になる玉との遊戯に戻ったのであった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午後7時過ぎ、亀戸駅近くのファミレスには資源ごみとしても回収されないような くだらない男2人がドリンクバーだけで顔を付き合わせていた

その男とは俺、式村岳と波多野 正恭である

俺と波多野はたわいもない話に花を咲かせていた

飲んでいたメロンソーダもいつもり美味しく感じたし、炭酸の強さも心地良く感じた

「高校の時の軽音部と会ったりする?」

俺は誰でも考えつきそうな質問を波多野に投げかけてみた

「会わないね 連絡先知ってるのもお前だけだもん」

「そうか.... いやさぁ、俺...またバンド始めたんだよ」

波多野はiPhoneで時間を確認して、腕を組んだ

「懲りないな どうせまたダメになる」

「何でそう言い切れるんだよ 今回はいける いけるんだよ」

「理由は?なんで逆にそう言えるんだよ」

「良い曲が降りてるんだよ しかも一曲じゃない」

「へっ 良い曲ってどんな曲だよ 何が"良い"んだよ」

「とにかくカッケェ曲だよ 聴くとテンションが上がるような...」

「あのさ...そんなことより...」

嫌な予感しかしなかった 

昨日見た、あのニュースと同じ匂いがした

臭くて堪らない 堪らなかった

「な、なに?」

俺は恐る恐る聞いてみることにした 

"そんなことより"の続きを

波多野はメロンソーダをストローで飲み干すと、わざと氷同士を当てて、音を鳴らすようにグラスを持って続きを話し始めた

「金貸してくれない?」

俺はテーブルに置いてあった紙ナプキンを一枚取ろうとしたが、その手を止めた

「はぁ?!お前さぁ...まさかその為に俺と会ったのか?」

「あたりめーだろ バンドの話なんかしに来たんじゃねえよ」

「何か怪しいと思ったんだよ 仮に金を借りようとしている身でその態度はなんだよ!」

「バカ 声がデカいよ 岳...いくらなら貸せる?」

俺はそばにあったメニュー表を両手で持ってテーブルに叩きつけた

情けない音と微風が波多野の顔を掠めた

「お前が俺の声をデカくさせてるんだろ いくらって...いくら必要なんだよ」

「は、はち...8万?いや、7万でも良い!」

「8万?!お前その前にパチンコやめろよ 今朝だって打ちに行ってたんだろ?」

波多野は俺を仏様だと勘違いしているのか、手と手を合わせて拝み始めた

「なぁ...頼む!もう、お前ぐらいしかこんなこと言えないんだよ 軽音部の奴も俺がこんな調子だからどんどん離れていった...それでもまだ繋がりあるのはお前だけだし...」

俺は残っていた自分の注いできたメロンソーダを一口飲んで、窓の外に目線を運んだ

あまりにも目の前の同級生が憎たらしくて直視出来なかった

「はぁ...金は貸せねえよ すまん」

すると、波多野は両手を自分の前でパンッ!と叩き、何か思いついたような表情を見せた

きっとニュートンエジソンもこんな閃きの連続だったのかもしれない、なんてどうしようもい冗談でも呟きたくなる

「そうだ!ちゃんと話、聞いてなかったけど…何でバンドなんか誘ってきたんだよ」

「あ、それは...今、良い曲は出来てるんだけど どうしてもギターがもう1人必要なんだよ 本格的なリードギターが加わるだけで化けるヤツばっかなんだよ」

「それで?」

「そこで...お前の顔が浮かんだ 軽音部では一番ギターが上手かったし、今ではパチンカスだけど一応はギターマガジンのコンテストで入賞したこともあるわけじゃん? お前がバンドに入ってくれれば何か変わるんじゃないかって そう思って...」

波多野はボサボサの黒髪を乱雑にいじりながらニタリと不気味な笑みを浮かべた

気持ちの悪いぐらい目尻の皺と口角がじわりと上昇する

この顔はもはや芸術かもしれない

そして、その時だった

「じゃあさ...金貸してくれたらそのバンドの件、考えるよ」

溜め息を何回吐いてもスッキリしない提案だった

俺は思わず波多野の全てを睨み付けてしまった

隅から隅まで睨んでみることにした

「考えるって... 入るかどうかも確定じゃないのに金を先に貸すっておかしいだろ」

「いや、7割加入と考えてもらって良い」

この世で一番怪しい数字・7割を使用するあたりが波多野って感じではあるが、もう少しだけ話を続けてみることにした

「本当か? じゃぁ、お前を8万で買うってこと?」

「ああ どんな曲だ 聞かしてみろ」

「偉そうだな ちょっと待ってろ」

俺はボイスメモに録音したバンドの音源を聴かせる為にイヤホンを取り出した

ケーブルが絡まったイヤホンを解きもせずに、プラグをジャックに差し込む

波多野はその瞬間、イヤホンを奪い取り、片耳だけにイヤーピースをねじ込んだ

俺は怪訝そうな顔をしながら、音源を再生する

約3分の荒々しい音の塊を高校時代からの友人にぶつけている

波多野は何度も曲を聴きながら頷いた

「これなら弾ける、混ざれる シンプルなロックなら俺でも対応出来る」

「ここでギターソロとか弾いてくれると...」

「はいはい イメージは浮かぶ 金は必ず返す!それなら良いだろ?」

俺は利き手の指をポキポキと鳴らしながら、右足で8万円男の脛を軽く蹴った

「パチンコ...やめろよ?」

「それも"考えてみる" 今日みたいに300回転から激アツな感じになる日もあるからな 考えてはみるよ ハハッ」

「てめぇ やっぱり貸さねぇ」

「なんだよ それっ」

「ったく…8万のプレイしてくれよ?」

「おっ おう!まず、バンド練習を見学させてくれ 貸すのはそれからでも良い」

お前はどこまでお人好しなんだ

式村岳、それじゃいつまでも幸せにはなれない

その意見は重く受け止めたい 

だけど、多分...俺はジジイになってもお人好しのままだ

まだ、金は貸すと決めたわけじゃない

だけど、8万と言う額がチョーキングされる

そんな映像が脳内を駆け巡ったのも事実だ

でも、考えてみるととんでもない賭け事に挑戦しているのは波多野じゃなくて俺なのかもしれない

バンドと言うギャンブル、これに魂をベットしているからだ

パチンコのように回転する人生はまだ始まったばかりだ

創作 何かを生み出すことでその回転数は上がっていく

そして、それは止まりはしないのだ 

決して止まりはしない

 

 

 

 

 

 

 

 

音を売る人 第3話 「ケジメ」

「すいませんでした!」

俺と浩充と孝太は正座で横一列に並んでいた

3人とも頭を下げ、おでこをフローリングの床にくっ付けた状態をキープしていた

再び例の1LDKで今度は詫びを入れている

この様は滑稽としか言いようがなく、孝太に関しては客として初めてここに訪れた人間にあたる

何故、俺たちがあの九十九と言う男に謝罪をしているのか…

それは説明するまでもない 例の件だ

九十九は回転するチェアに座り、足を組みながら俺たち3人を見下ろしていた

「3人とも…顔を上げて」

それは意外なリアクションだった

怒号を浴びせられるとてっきり思っていた俺は安堵の表情で九十九の目を見た

しかし、その気持ちも一瞬で燃やされることとなるとは…今考えてもゾッとする

九十九は少しだけ笑みを浮かべながらその優しいリアクションをする理由を述べ始めた

「これを壊した…と言うことは解決方法は一つしかないのよ 分かるかな? 解決さえすれば僕は今回のことを無かったことにしてもいい…そう思っているわけだ」

浩充は何とも言えない表情でその言葉の意味を問いただした

「と…言うのは…その…どういう意味…」

「金だよ 明日までに500万用意して」

俺たちは知床の氷河のような冷たさに襲われ、震えが止まらなくなった

「ご、ごご500すか?」

孝太は500万と言う現実味を帯びない数字に驚きを隠せないでいた

「うん…何か問題でもあるかな?」

「そ、それはちょっと…厳しいです」

俺は本音を漏らした

「厳しい?あのね…この売買は足がつかないようにこの電話だけを連絡手段にしているわけだよ それが終わったってことは、本来売り上げることが出来た金額が飛んだってことなんだよ その分の売り上げの総定額は払うのが筋ってもんだよね?」

正論だ いや、正論じゃないけどこの裏社会ではきっと正論なんだ

孝太は半泣きになりながら必死に話の方向を変えようとしていた

「わ、割ったのは俺ですけど…その…さずかに無茶…いや、その…」

「無茶とか言わないでくれよ 借金でもして作るしかないでしょ」

ろくでもない男たちはろくでもない男に黙らされてしまった

沈黙が3分間は続いたと思う

すると、九十九は眼鏡の位置を細い指で整えてこちらに近づいてきた

俺たちは咄嗟に距離を取ろうとした

九十九はその時、今にも泣き腫らしそうな孝太の横っ面を叩いた

乾いたスネアドラムのような残酷な音がした

「泣いてんじゃねえよ 客の分際で、しかもお初にお目にかかるヤツが普通こんなことしねえだろが あ?」

もう一度思いっきり顔を叩かれた

その後、浩充の胸も蹴り飛ばした

俺は髪の毛を掴まれて、突き飛ばされた

やりたい放題とはまさにこの事だ

「お前らも黙ってねえで何か言えや」

優しい口調の姿しか見たことがなかった為、この豹変ぶりには恐怖しか感じなかった

「学校も適当で、音楽でも結果出せなくて…終いには裏稼業でも使えねえ てめえらの過去なんか俺には関係ねえけどよ…じゃあ、他に何が出来んだよ 答えてみろや」

俺はそれに対して逃げ道を作る為に最低な言い訳を口にしてしまった

「お、俺はお試しで始めただけで…まだ2回しかこの仕事はして…」

「知るかよ 1回だろーが10回だろーが自分のケツは自分で拭けよ ガキか」

すると、奥の部屋の扉が開いた

ドアノブの動く音は非常に無機質だった

出てきたのは身長190cmはある坊主の大男で黒いスーツを着こなしていた

服の上から鍛え上げられた筋肉が詰まっているのが分かった

「あ…平塚…どうした」

「さっきから隣の部屋で聞いてたら女々しいこと言ってんじゃねえかよ」

「だろ? あ、コイツらの答えが出るまで相手してやれよ」

それからはその平塚と言う謎の大男にひたすら殴られた

鉄のような拳で顔面や脇腹を容赦なく攻撃してくるのを誰も止められず、されるがままの状態が続いた

「す、すいません…」

切れた唇から出る血を片手で押さえながら浩充は謝ることしか出来ずにいた

「そう言うのいいから 九十九さんの手を煩わせるんじゃねえよ このまま殺すぞ」

俺は正直に答えた

「金は用意出来ません!そんな金ありません!すいません!本当にすいません!」

それを見ていた九十九はいつの間にか吸っていた煙草を片手に恐ろしいことを言い放った

「灰皿出せよ」

「は、灰皿?灰皿はテーブルにあり…」

九十九は俺の手を引っ張って掌を上にした

そして、そこに煙草を押し付けた

俺はデシベルなんて単位じゃ片付けられない大声を出してしまった まさに、絶叫だ

それを横で見ていた孝太は慌てて、持っていたウエストポーチのファスナーを開けた

そこから取り出したのは通帳とカードだった

「100万あります!俺の全財産です!会社にいた時に貯めてたヤツです!500はないけどこれで話つけてください!だから…コイツらに手を出すのはやめてください」

浩充は眼球を拡大させて孝太の方を見た

「お前何で通帳なんか持ってんだよ」

「金だろーなって…金の話はするんだろうなと思って持ってきたんだよ ただ、500万って言われたから出しづらくて」

九十九は吸い殻を床に落として、鬼の形相でその通帳とカードを奪い取った

そして、通帳をパラパラと捲り溜め息を吐いた

その後、通帳とカードを孝太に向かって投げつけてキッチンの冷蔵庫を開けた

「もういいよ…消えろ 2度と俺の前に顔を出すな」

俺は煙草を押し付けられた掌を動かさずに震えた声を出した

「え…か、金は?」

「100万じゃどうしようもない…俺もこれだけじゃなくて別の仕事は幾つかあるから手段は一つじゃない とにかく消えろ」

浩充はその場で何度か嗚咽をすると汚物をその場にぶち撒けてしまった

平塚は鼻をつまみながらキッチンの上にあった布巾を浩充に渡して一つだけ忠告した

「お前らこの仕事のことも…こんなことになったことも他で絶対喋んなよ 帰れ」

浩充は頷いて自分の嘔吐物を泣きながら拭いていた

その姿を俺と孝太はしばらくの間眺めていた

人間と言う生き物は非常に愚かだ

同じ過ちを犯しても学習しない哺乳類

しかし、それでも生き続ける

俺たちは現世で生き方をテストされている

酷な話だ この時に流した成人男性3人の涙

それは三途の河と同じ色をしていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラーメンと言う料理を一番最初に考えた人間には何かしらの賞状を送るべきだ

今、この豚骨ラーメンを啜りながらそう思う

俺と浩充と孝太は千駄ヶ谷に店を構えるラーメン屋のテーブル席で麺とスープに夢中になっていた

3人とも一言も喋らず、割り箸とキスをするように博多の味を都内で貪っていた

俺は左手に包帯をし、浩充の右目は腫れたまま

孝太は口元の絆創膏が未だ剥がせずにいた

俺たちの座るテーブルの右斜め上には小さなテレビが置かれていて、普段なら決して見ることのないワイドショーが垂れ流しになっていた

カウンター席には中間管理職を任されていそうな中年のサラリーマンが背を向けて座っていた

厨房からは中華鍋の荒々しい金属音がしていた

それから暫く経つと、浩充は箸を動かす手を止めて口を開いた

「孝太…良かったな 金イジることにならなくて…」

「うん…でも、元はと言えば俺のせいだよな ごめん マジでごめん」

俺はレンゲで白く濁ったスープを掬って、それを一口飲むと2人の話に参加してみる

「謝るな 結局、俺たちもヤバい仕事に手を出していたわけだし」

浩充は再びラーメン食べ始めると、突然の決意表明をし始めた

「俺、良い病院見つけたから…通院して治すよ クスリにまた手を出したら同じことなるからな」

「おう…それもそうだけどアイツらは捕まんねえのかな?」

「いずれは捕まるだろ いつまでもあんな仕事続くわけないんだから」

「アイツらが最終的に俺たちを解放したのも、あれ以上のことをすると自分たちの身が危ないと思ったからだよ」

「いや、それよりも孝太は就職活動でバンド辞めたのに結局は会社を辞めてあんな形で俺たちと会うなんて…ヤバいよな」

「ブラックだったんだよ…それで、クスリに逃げようとした クズだよ俺は」

「みんなクズだろ」

何故かその後、全員で全てのことを笑い飛ばした 笑うことしか出来なかった

笑って笑って苦い過去も忘れようとした

だけど、数分後には同時に我に帰っていた

「なぁ…これからどうする?」

俺は皆んなが話したくない、目を背けたい現実的な話題を投げかけた

浩充は爪楊枝を咥えながら面倒くさそうな顔をしてiPhoneをいじり出した

「どうもしねぇよ つーか、どうにもなんねぇよ 中卒を中途で雇ってくれる仕事なんかあるのかよ あるなら教えてくれ」

孝太は目を逸らしながら水を飲んだ

「俺も…行くとかなんかないよ 会社も辞めちゃったし、どうせ今のバイトを続けるだけ」

その2人のリアクションを最後まで確認すると俺は深呼吸をして一拍置いた

言いたいことがあった 

でも、それはとても勇気のいることだった

俺は使える右手で膝を一回だけ叩いて背筋を伸ばして2人の目を見た

浩充はその俺の姿を見て眉間に皺を寄せた

「なんだよ」

「俺さ…またバンドやりてえわ」

浩充は椅子から転がり落ちそうになった自分の身体を元に戻した

「は?何言ってんの?本気?」

「本気だよ」

「バンドなんか…またやるわけねえだろ」

「じゃあ、どうする?またゴミみたいな仕事をするか?まともな仕事では誰も雇ってくれないぞ?それとも永遠のフリーターでも目指すか?宝くじでも当てるか?」

「岳…落ち着けよ 俺はたまに誘われてサポートでドラム叩くので精一杯だよ 分かるだろ?」

「だから何だよ 俺たちはバンドを組んで活動していたんだぞ?またそれを復活させるだけだ」

「お、オリジナルだろ?」

「当たり前だろ 今更コピーバンドやったところで何になるんだよ」

そんな話をしていると孝太は目を瞑って何か考え事をし始めた

ひたすら1人で頷きながら貧乏ゆすりまでし始めた

俺と浩充は黙ってその目の前の映像を眺めていた

まだ孝太は言葉を発さない

テレビの雑音と厨房の調理音だけがBGM

そんな時間が流れていた

その時、孝太は瞼を開いて笑ってみせた

「俺、やってみたい」

「はぁ?!ふざけんなよ」

「ふざけてないよ ベースは3年以上触ってないけど…触ってないけど…やりたいわ」

「ほら!孝太もやりたいって言ってんじゃん!お前はどうすんだよ」

「はぁ…孝太さんは何でやりたいんですか?」

浩充は椅子に浅く座って立膝をついた

「だって俺たち、もう音楽しかないじゃん しかもさ…最初のバンド活動だってまともなことやってないよ? 本格的にやろうよ」

俺は水を飲み干して強い力でテーブルにコップを置いて話をまとめてみた

「どうすんだよ やんねえならドラムはまた別で探すことにする」

「どうすんだよって…そんな思いつきみたいな話で…んー あ、見切り発車ってことはねえよな?」

「ない!保証する!」

「じゃあ…考えてやっても良い」

「アハハ なにそれ? 正直になれば良いのに 岳、これはきっとやるって意味だよ」

「孝太もそう思うよね? じゃあ、早速集まって楽器鳴らしてみよう!」

ラーメン屋

ここはラーメン屋なのは分かっている

でも、一瞬だけ自分たちしかいないシェハウスのように感じた

テレビの向こうで何かに怒っているコメンテーターにすら笑顔を見せることが出来た

俺は怪我をした左手を見つめながらワクワクした気持ちを抑えられずにいた

ラーメン屋って良いな

いや、男友達って概念が最高なのかもしれない

店の外はか弱い風が街を撫でていた

新しい生活がまた始まる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はヘッドホンを装着すると試聴機の再生ボタンを押した

1番と番号が振られたよく知らないアーティストの新譜の一曲目が適度な音量で流れた

それは無難なJ-POPだった

無難も無難だった 特にコメントしようがない

一曲目を聴き終えると二曲目は聴かずにヘッドホンを元の場所に戻した

俺は浩充と孝太に向かって首を横に振った

「聴くまでもねえだろ ジャケがダサいもん」

「浩充は相変わらず辛口だね」

「聴いてみないと分かんねえじゃんそんなの」

「まあな しかし…3人でCDショップに来るなんて何年ぶりだ?」

「そんな、何年ぶりのレベルじゃないでしょ」

俺たち3人は何故か渋谷のCDショップにいた

ラーメン屋の後はCDショップと決まっているわけじゃないけど何となく音楽を感じたかった

トボトボと一階のフロアを歩き回ってみるとエスカレーターに出会った

「あ、3階がロックのコーナーなんだ」

エスカレーターに運ばれると3階のロックのコーナーに心の中で挨拶をした

新譜が只管面出しされて並んでいる光景が俺たち3人には新鮮に見えた

ベテランの新しいアルバムから新人のデビューシングルまでとレンジは幅広い

名前の知らない歌手が表紙のフリーペーパーがCDの横に綺麗に積んであって手に取ってみる

すると、浩充はいきなり立ち止まって店員が作ったであろうポップを見つめ始めた

「どうしたの?」

孝太はその様子を不思議がった

「今大注目って書いてあるじゃん…本当にそうなの?」

「知らないよ そうなんじゃないの?店員も嘘は書かないでしょ」

「ダサいMVだな… 衣装も最悪だな…」

確かに俺もそう思った

浩充が酷評していたのは最近若者に大人気のロックバンドだった

バンド名は"星空が輝く夜に"

中性的な見た目のボーカルと今にも折れそうな腕の細さが特徴的なギタリストが印象的だった

楽曲の内容もよくある失恋ソング

「"星空が輝く夜に"は笑っちゃうよね」

すると浩充がMVが映し出されたモニターを睨み付けながらこう言い放った

「なんでこんなヤツらが売れんだよ…」

「そりゃあ色々計算されてて…」

「なんでこんなクソみたいな曲が皆んなにウケてんだよ」

「浩充…だからそれは…」

「バンド…やるわ 俺、ちゃんとやるわ」

俺と孝太はお互いを見合ってヘラヘラした

「やっとその気になったか」

「売れるとかそんなんじゃねえヤバい曲作るぞ 本当にやりたい音楽やるぞ」

「浩充?」

俺は真剣な顔の浩充を呼びかけた

彼が強ばった顔つきのままこちらを振り返る

俺は口角を若干上げたまま一言呟いた

「その通り」

バンドをやりたい その気持ちは皆んな同じ

でも、それは簡単なことじゃない

その気持ちも皆んな同じ

好きなことで…本当にやりたいことで…

成り上がる 絶対に成功する

難しいことなのは分かっている

それは天国にいる神様も地獄にいる神様も認知済みなんじゃないだろうか

コンパクトディスク 通称・CD

今はこの円盤の時代じゃない

でも、時代を軸に生きていない路上の掃き溜めのような俺たちにとってCDほど良くも悪くも瞬いて見える媒体はない

いつか真人間になる

その為には楽器から音を出し、声帯を震わす必要があった

今すぐにでも その必要があった

時は待ってはくれない 進むだけだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音を売る人 第2話 「売人」

俺は今、1LDKと言うモノを体感している

ここは、西新宿の高層マンション

窓からの景色は良い眺めであった

しかし、俺の目の前で繰り広げられている光景は最悪の眺めだった

革製のソファに腰を掛けるのは俺と浩充

そして、そのすぐ近くの椅子にもたれているのは丸眼鏡をかけた七三分けの男

男と浩充はある錠剤をテーブルの上に散らばしてから丁寧に数を数えていた

浩充は数え終わった錠剤をビニール袋に入れて、自分のリュックにしまった

「いつもありがとうございます」

浩充がそう言うと男は不気味な笑顔を浮かべた

「ハハッ 使い過ぎはよくないよ」

「そこは大丈夫です あ、コイツのこと紹介してなかったですよね 岳って言います」

「岳くんね よろしく」

向こうは握手を求めてきた

反射的に手を伸ばしてしまった俺がそこにいた

「ところで、どう言う関係なの?」

「元々組んでたバンドのメンバーなんですよ」

俺は何も言わずに首を縦に振った

すると浩充は下北沢の居酒屋で例のクスリについて、話をしたことの経緯をこの七三分けに説明し出した

「九十九さんのこともリタのこともそこでコイツに話して…なぁ?」

旧友にただ話しかけれただけなのに、心臓を強く潰されそうな感覚が走った

「あぁ はい」

そして、どうやらこの男は九十九と言うらしい

彼は錠剤を指差して再び笑みを浮かべた

「コレに興味があるから来たんだよね?」

そうではない 

ただ、浩充に"面白い話が聞ける"と言われて仕方なく着いてきただけだ

「いえ…彼から面白い話が聞けるって伺ったので、何となくって感じで…」

九十九は丸眼鏡の位置を人差し指と親指で直すと黙って椅子から立ち上がった

そして、何も言わずに奥の部屋に消えてしまった

「え?なんか俺…マズいこと言った?」

「いやいや まあ、待ってろ」

すると5分後ぐらいに九十九は黒いセカンドバッグを持ちながら元の場所に戻ってきた

そして、その怪しげな黒い塊のファスナーを開けると薄めの札束を一束取り出した

「これ全部で30なんだけど…浩充くんがコイツを売って作ったお金なんだ」

表情が一気に強張るのが自分でも分かった

俺は黙るしかなかった

「君、仕事は?」

「ふ、フリーターです」

「音楽もやっているらしいよね そっちの収入の方はどうなの?」

「ほぼゼロです」

姿勢を正して座っていたが、いつの間にか拳を膝の上で硬くしていた

「じゃあ、結構キツイでしょ?」

そうすると、浩充が煙草に火をつけて俺の肩を自分の方に寄せて流暢な口ぶりで語り始めた

「そこでだ ちょっとだけでいいからさ 俺とこれ捌くの手伝ってみねえか?」

俺は浩充の手を振り解いて、怪訝そうな顔を見せた とにかく必死だった

「俺は遠慮しておくよ トラブルに巻き込まれても困るし」

「バカ そんなことはねえよ お前がバイトをフルで入っても手に入らない額が簡単にゲットできるんだぜ?やらないって手はないだろ」

すると九十九は何世代も前であろう、折り畳める携帯電話を3台テーブルの上に並べた

「このリタリンって薬はそう簡単に処方してくれるモノじゃないんだ だけど、求めている人間が多いのも事実 その人たちに通常の処方箋の倍の値段で売り付ける その売り上げの半分を俺によこす この携帯に顧客情報が詰まっている そう言う仕組みよ」

浩充は蕩けそうな目玉を動かしながら2本目の煙草に火をつけ、九十九の方を向きながら再びベラベラと語り始める

「トバシ?ってヤツですよね まあ まあ…そんな深いこと考えないでバイトを掛け持ちしてると思えば気が楽だろ?何も俺だってずっとやるつもりじゃねえよ」

俺は思わず立ち上がった

「でも、そんな規制の厳しい薬物をどうやって仕入れているんですか?」

「それは…教えられないな」

俺は額に脂汗をかいていた

今までかいたことのない質の悪い汗

次第に頭から足の爪先まで震え出し、それを止められなかった

置き時計の秒針が刻む音だけが鳴り響く生活感のない部屋が俺の心を刺し殺そうとしていた

このヤサには愛も希望も未来も存在などしなかった 虚無感だけが宙に舞っている

それは浩充の瞳の奥に映っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数週間後、浩充と俺は池袋の某ビジネスホテルの前に立っていた

もう春も終わりを迎える頃だと言うのに冷たい風が無愛想に吹き乱れていた

汚れの目立つパーカーとジーンズで持ち物は貴重品と例のトバシの携帯電話だけで戦場に足を踏み入れようとしている俺とブツの入った手提げバックを片手にシャツ一枚で乗り込もうとする浩充

二人ともこの日は血が通ってなかった

「405号室だよな」

「マジで今日だけだぞ クソ野郎が」

「怒んなよ 騙したかったわけじゃない」

俺と浩充は自動ドアを通ると一目散にフロントへ向かい部屋の予約の確認をする

そして、心を落ち着かせながらエレベーターに乗り込む

上を見上げ、階数が段々と4階に近づいていくのを確認する

重い扉が開くと物音一つしない綺麗な廊下に辿り着いた

ホテル独特の匂いを漂わせているのは間違いなく、俺たちが取った部屋は404号室であったことも間違いなかった

深呼吸をすると、カードキーを使って静かに部屋の中へと進んでいく

中には冷たい空気の漂う液晶の薄型テレビが一台と小さな冷蔵庫があり、綺麗にベッドメイキングされた寝具も堂々としていた

すぐに扉を閉めると、一旦荷物を床に置いてジーンズのポケットにしまっていたトバシの携帯電話から正しい名前もよく知らない相手に発信してみる 相手は4コール目で応答した

「もしもし 例のアレです わかりますか?」

「……」

「もしもし? 聞こえますか? 例の…」

「あ、今聞こえた 早いね もう着いたんだ」

「はい もう準備できてます 隣の404号室にいるんで、タイミング見計らって…」

「はいはい 今行くよ と言うか普段聞かない声だけど新入り?」

「そうです き、期間限…」

突然、電話は切れた 印象としては最悪だ

俺は怒りを込めて蓋を折り畳むと、浩充に何も言わずに渡した

すると、扉のノックの音が聴こえた

俺は慎重にドアノブを動かすと隙間から見えたのは金髪にスウェット姿の男だった

見た目は30代前半と言ったところだろうか

「入って大丈夫?」

俺はまずこの男が何者なのか分からなかった

しかし、浩充は顔馴染みのような素振りで手を挙げて迎え入れた

「お久しぶりっす どうぞ」

男はパタパタとスリッパの音を鳴らしながら肩で風を切るように部屋の中に入ってきた

身長は俺よりも少し高い気がしたが、顔つきは悪くて覇気のない感じがした

「なんで今日は2人なの?」

「いやぁ…研修…的な…」

「そーなんだ アンタも人に何か教えるようになったんだ」

浩充は軽く会釈をした後に手提げバックからビニール袋を取り出した

そして、その袋の中にある例の錠剤を金髪の男に見せる

「こんだけあります…希望は?」

「んー そうね…半分は欲しいな」

俺と浩充は思わずお互いの顔を見合わせた

まるで紀元前に作られた石像なような固まり方をしていたと思う

「は、半分ですか?」

金髪の男は眉間に皺を寄せる

「なに?問題あり?」

俺は咄嗟にその場を取り繕った

「問題ないです!」

浩充は本音を少しだけ溢した

「結構、飛ばすんだなーと思ってしまって」

「飛ばす?あぁ…毎週末のクラブではマストだから仕方ないんだよ じゃあ、半分で良いなら…ほらっ」

金髪の男は財布からあるだけの万札を浩充に渡してきた

浩充はすぐに渡された諭吉の人数を指で数えていく

この時、自分の内側から弾ける鼓動の音がしっかりと聴こえた

今にもこの世の全てのネガティブな感情を混ぜたような色で全身を塗られそうな勢いでもあった

「足りてる?」

「確かに... じゃあ、これは頂きます また、必要になったらあの番号にかけてください」

「おう いつも悪いね あっ 呉々もポリには気をつけて」

笑みを滲ませながらそう言うと、男は404号室を去って行った

俺は肩の荷が下りたと同時に物凄い疲労感に襲われて、ベッドに思わず腰掛けた

浩充はそんな俺を見かねたのか肩に手を置いて一本、煙草を差し出してきた

俺は首を横に振った いらなかった 

そんなことより、早くこの場から出たいのが正直な思いだった

「俺、やっぱ辞めるわ 続けられる自信ない」

深めに紙巻からニコチンとタールを吸い込むと、濃ゆい煙を燻らせて浩充が話し始めた

「確かに処方箋で貰えはするけど向精神薬ってヤツだからな これの常習者相手に仕事してたら自分の身が危ない 分かるよ... ただ、クソみてぇなバイトするより確実に稼げるし...中卒の俺には他の仕事のあてもない」

俺はベッドの上に大の字になって豪快に寝ると、天井を見上げた

「まだ、俺ら...終わっちゃいねえよ...」

「ふっ 格好つけるなよ お前も三流大学中退は笑えねえぞ」

「いつまでこんな仕事続ける気だよ」

浩充はシルバーのオイルライターを意味もなく開閉しながら困り顔をしてみせた

「さぁな とりあえず次の客の時だけでもついてきてくれ さすがに初日だけじゃ判断し切れないだろ?それにお前への分け前もまだ決めてないし」

「次だけだぞ 本当に次だけだ 分け前はジャリ銭で良い」

俺たちは深い溜め息を吐いた 

その深さは計り知れなくて、マントルにまで届きそうな感じがした

様々な場所へ降り立つも、結局はどこに行くことも出来ない旅烏のような俺たちが未だに花の都、東京で屍になれずにいた

きっと神様も嘲笑しているに違いない 

違いないんだ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は日曜日

天気も良くて人々の動きもどこか晴れやかだ

そんな日に俺は1人、三ノ輪駅近くを徘徊していた

と言うのもいくら歩いても灰皿が見つからない

喫煙所らしきスペースもないし、喫煙可能な飲食店すら現れない

そんなことをしているとiPhoneがこちらを脅かすように鳴り出した

液晶画面には浩充の文字

俺は近くの電柱に凭れながら電話に出る

「おいっす もう着いた?」

「ああ 迎えに来てくれるの?」

「あー んー もう客との待ち合わせ場所の喫茶店にいるんだよ 来られる?」

「住所か店の名前教えて すぐ向かう」

俺は浩充が待機している喫茶店に向かうことにした 生き急いでいるかのような早足で自転車に乗る高齢者や親子連れをかき分けていく

大通りから外れ、細い路地に入っていくと…

そこは何の変哲もない閑静な住宅街の世界が広がっていた

自分が歩いている間に黒いワゴン車が一、二台通り過ぎていくのは確認出来たが、基本的には静かで落ち着いた雰囲気が漂っていた

すると、いつの間にか目の前には年季の入った老舗を匂わす喫茶店が待ち構えていた

埃の被った食品サンプルが展示されているショーケースと目があったが、特に気にもせず店の扉を開けた

カウンターに立っている白髪が似合うモダンな中年男性がいらっしゃいませと言う言葉と共に笑顔を投げてきた

すると、奥の方の席に座る浩充の姿が視界に入ってきた

奴は季節外れの黒いパーカーを纏っていた

向こうが手を挙げるとお互いアイコンタクトをして向かいの席に腰をかけた

「よいしょっ… 三ノ輪って何もねえな」

俺はそう言うと浩充は咥えていたタバコを口から外して、右耳を穿った

「下町だけどな…まあ、何かあるわけじゃ…」

俺はアイスコーヒーを頼むと店内を見渡してタバコに火をつけた

「いや、俺は今日が最後だと思うと…」

「しつこいよお前 最後、最後って」

「悪い で、結局、お前はいつまで続けるの?」

「実は…俺もやめたくなってきたんだよね」

「は? じゃあ、一緒にやめようよ」

「そうなんだけど…どうやって九十九さんに説明し…あ、電話だ」

浩充は慣れた手つきでトバシからの電話に出る

「もしもし…あ、はい その場所で合ってます はい…待ってます」

俺はタバコを灰皿に押し潰して目を擦った

「どれぐらいで着くって?」

「もう5分もかからないってさ」

30手前のむさ苦しい男2人が三ノ輪の喫茶店でタバコとアイスコーヒーを惰性で頂いている姿はどこか虚しさを振り撒いていた

俺は吸っては一口飲み、吸っては一口飲みを繰り返しながら腕時計をチェックする

とにかく今日で終われる 

売買の現場はこれを合わせてたったの2回だが、刺激的な社会経験だったと思えば気が楽である

すると、入り口の扉が開く音がした

店内に入ってきたのは見た目からして俺たちと歳の近い中肉中背の男だった

黒の長髪で長さは顎ぐらいまである

イラストがプリントされた長袖Tシャツ一枚に紺のチノパン姿の男は周りをキョロキョロし出した

浩充がその姿を見て、既に服装等は口頭で確認済みの為、先程電話した客だと察して手を挙げて呼び込んだ

段々と彼がこちらへ近づいてくるのが分かった

しかし、その時だ

俺たち2人は一瞬にして固まってしまった

男の方も浩充と目が合い、その後に俺の顔も確認してから足が動かなくなっていた

最初は呆気に取られて言葉が出なかったが、俺はその状況を黙って見てはいられなかった

「こ、こ孝太…だよな?」

浩充は半笑いで俺の後に続いた

「お!孝太?久しぶり…ハハッ 偶然だな 浩充だよ 覚えてるか?」

平常心を保っているようにも取れた

「お、覚えてるよ 何してんだよ…」

「お前こそ何してんだよ ここよく来るのか?」

お互いが何かを探り合っていたのは分かったが、俺は結論を早く知りたかった

「なぁ 孝太 誰かと待ち合わせしてたり…しないよな?」

「変なこと聞いてくるな そ、そんなことお前らに関係ないだろ 生きてりゃ…こうやって、たまたま会うことだってあるだろ」

浩充が何かを言い放とうとしていたが、それを遮る形で俺は続けた

「1人でふらっと入ってきただけなのか?」

「そ、そう言うわけじゃねえよ」

「誰と会う約束をしているのか…お、教えてくれないか?」

浩充は何かを悟ったような表情で目を瞑ってから話し始めた

「まさか…黒いパーカーの男を探していたり…しないよな?」

男は下を向いて黙ってしまった

この世の全ての生命の生気を吸い取るような凍てつく時間がそこには流れていた

「違うよな?ごめん、俺たち意味不明なこと言ってるよな 勘違いだったわ いや、たまたまお前に会うなんて…」

「探してますよ… 黒いパーカーの男を… でも、もう目の前にいる」

浩充は指で挟んでいた火をつけていない煙草をテーブルの上に落としてしまった

俺もその言葉が衝撃的過ぎて身体全身が震えてくるのが分かった

「いやいや 冗談キツいわ 黒いパーカーを着た別の友達と待ち合わせているんだろ?」

「その人は今日初めて会う人だ 友達なんかじゃない でも、初対面じゃない人間だってことが今…分かったよ」

俺は知りたかった 本当のことを

「買いに来たってことか?」

「1週間分…欲しい」

「はぁ?」

「嘘だ…嘘だと言ってくれ」

浩充は頭を抱えて下を向いたまま、数秒間黙り込んだ

俺も男とは目を合わせず、腕を組んでみせるも返す言葉が見つからなかった

何故なら、この男は俺と浩充と一緒にバンドを組んで活動していたベーシスト・福士孝太そのものだからだ

こんな偶然あるのだろうか

いや、そうそう無い 悪い意味で奇跡だ

過去に音楽を共に奏でたメンバーにクスリを売るなんて出来るわけがない

浩充が顔を上げると顔付きを変えて孝太の目を見ながら喋り始めた

「とりあえず外に出よう」

孝太は不思議そうな顔をしていた

「なんで?」

俺は自分のバッグを持ちながら席を立った

「事情が変わったからだ」

俺はそう言うと会計を素早く済ませて、2人を連れて店の外へ出た

天気がヤケに良くて腹立たしい気持ちになったが、この感覚は誰にも共感して貰えないだろう そう思いながら路地の隅に移動した

浩充は足元の石ころを蹴飛ばして、電柱に寄り掛かりながら孝太を説得し始めた

「単刀直入に言う…無理だ お前には売れない」

「なんでだよ 金ならある」

「そう言う意味じゃない 浩充も俺もそう言うこと言ってんじゃないんだよ」

「はっ まさか知り合いだから?知り合いだから売れないのかよ そう言うこと?」

「.........」

「もうお前らと俺は客と売人の関係性だろ?余計なこと考えるなよ お前らがどうしてこんな仕事しているかは分からないけど…そんなことどうだって良い 買わせろよ」

「それは出来ない」

浩充はパンツのポケットにしまっていた黒い携帯電話を取り出した

何やら電話帳から孝太の電話番号を削除しようとしているようにみえた

勿論、偽名で登録されているに違いない

その時、孝太が急に声を荒げた

「おい!それで客とやり取りしてんだよな?」

「お前には関係ないだろ」

「それ貸せよ」

「やめろ 離せ」

俺は浩充に近づき、トバシの携帯電話を奪おうとする孝太を必死で止めようとした

しかし、孝太は俺のことを突き飛ばして浩充の胸ぐらを掴んで黒い塊を奪い取った

「なにすんだよ」

「俺に売らないなら…他の奴にも売るな」

孝太は携帯電話を蓋が開いた状態で強く持ち、俺たちの方を向いて睨みつけた

そして….....折った 折ってしまった

軽くて無機質な音だけがした

この時、確実に時間が止まっていた

2つに折れた顧客情報がアスファルトの地面に落下した

浩充と俺は大きな目玉をさらに拡張させたまま呆然とその場に立っていた

何もすることが出来ない

俺は段々と足の震えが来るのを抑えられず、倒れ込んでしまった

浩充は閉じない口をどうすることも出来ず、ゆっくりとしたモーションで折れた鉄屑を拾って地面に転がる空き缶を見つめた

「どうすんだよ………」

「素直に売ってくれれ…」

「どうすんだよ!殺される!殺される!」

俺は上を見上げ、浩充の顔を凝視した

「え?殺される?」

「九十九さんに殺される!つ、つくも…」

浩充はその後、泣き崩れた

ワールドトレードセンターと同じぐらいの勢いで膝を曲げて敗北を身体全身で表現した

人間の負の要素を食い散らかした化け物のような有様だった

目から溢れる液体はドス黒くて…不透明

三ノ輪で遠くから聴こえるカラスの鳴き声が鼓膜を殴っている気がした

俺たちはいつどんな時だって…地獄の底にいる

それは深くて重くて想像を絶する場所だ

こんな春の終わりは今まで味わったことがない

そして、これからも味わうことはないのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音を売る人 第1話「はじまり」

艶のない青いカプセルが一錠、小さな丸テーブルの上に置かれている

それをただただ見つめながら深い深呼吸をすると、ペットボトルの水を一口飲んだ

8畳しかないアパートの汚れた窓から淡い光が漏れ出すと白いカーテンを開け、外の様子を確認した

自転車に跨るスーツ姿のOLとチワワの散歩をする自分の同い年ぐらいの男が視界に入った

それから数分ぼーとしていると型落ちのiPhoneがうるさく鳴り出した

画面には「松本」の文字

3回目のコールで電話に出てみた

「もしもし…」

「あ、松本です 岳くん…今、電話大丈夫?」

「あ…大丈夫ですけど…なんでしょうか?」

「いやさ ウチで再来週やるイベントがあるんだけどさぁ まだ枠があって…良かったら出てみない?」

「イベントってどんな…」

「大学生とかのコピバンが出たりするマンスリー企画なんだけどぉ 岳くんはよくウチでライブするから直接出られるか聞いちゃおうと思ってさ 今月は人が集まんないのよ」

「はぁ…詳細を送ってくれると助かります 要検討ってことでいいですか?」

「おっけ おっけ じゃあ、また」

電話を切ると同時に溜め息が出た

気が付かないうちに手汗もびっしょりだ

先程見つめていた40mgの塊を胃に流し込むと部屋の片隅に立てかけてあるアコースティックギターを徐に掴んだ

電気も点けていない日光だけが家具を照らす一室でAmを押さえてみる

誰でも奏でられるような何の特徴もない6弦の音色がヤニのついた壁に反響した

また今日も行き場のないドブネズミのような1日が始まる

 

 

 

 

 

 

 

クシャクシャのechoは残り2本

ペラペラの財布の中身は540円とレシートだけ

履き古したデニムと霞んだ白いシャツで

ギターケースを背負ったまま下北沢駅の改札を人混みと共に通り抜けた

相変わらず下北沢と言う街は何かあるようで何もない中途半端な雰囲気が漂っていた

春も終わりを迎えて夏の準備を地球がし始める5月の空気を吸いながら俺はある場所に向かっていた

ケーブルが捻れたことも気にせず、イヤホンでフォークソングを聴きながらトボトボと目的地へと歩き出す

この時の後ろ姿はきっと言葉に表せない虚しさに包まれていたと思う

ファーストフード店から楽しげに出てくる女子高生2人組の笑い声にすら反応を示すことはないまま、突き当たりの角を右に曲がった

しばらく歩き続けると殺伐とした小さなビルが俺に挨拶をしてきた

欠伸をすると、俯き顔で地下へ続く階段を降りていった

目の前には知らないバンドのステッカーだらけの重い扉がある

その扉を開けると顎髭を生やした長髪の男がTシャツ姿でストレッチをしていた

「松田さんお疲れ様です」

「お!岳くん!今日はよろしくね!」

「はい…」

ここはライブハウスで、彼の名は松田耕平

このハコの店長である

どうやら昭和の頃は賑わっていた年季のある老舗のライブハウスらしいのだが今となってはとっくに廃れていて、高校生や大学生の下手くそなコピーバンドぐらいしか利用していない

こんな場所で店長するのも大変なんだろうなぁなんてことを考えているとスタッフからセット図の紙を一枚渡された

しかし、ハッキリ言って別にこんなものはいらない 必要がない

俺は今、音楽活動をしている

本名の式村 岳と言う名前で弾き語りメインのシンガーソングライターとして下北沢を中心に歌を歌っている

バンドをやっているわけでもないし、登場SEなんか決めてない

照明だって照らしてくれれば何でも良い

この紙切れに命を燃やしているのは今日のイベントに一緒に参加する学生バンドたちだけだ

ほとんど白紙の状態でスタッフに返すとすぐに楽屋の様子を伺った

演者が貰うバックステージのパスやポスター、ステッカーなどがベタベタと貼られた壁が特徴的の狭い部屋には和式トイレとボロボロのソファしかない

決して居心地は良くないが、知り合いが誰一人として来ないこのイベントでは楽屋が唯一の避難場所である

楽屋に先客は誰もいないようで、ソファに腰掛けてギターケースからアコースティックギターを取り出し、チューニングを始めることにした

それから、1弦1弦丁寧に鳴らしていると3人組の男子が和気藹々と俺の避難所に入ってきた

「わかるわぁ アイツの講義…あ!おはようございます!」

「な!でも、単位落とせ…おっ、今日はよろしくお願いします!」

「うぃっす」

向こうから明るい挨拶をしてきた

俺はそれをかき消すような陰湿さを含ませた挨拶で返した

「あ、はい…よろしく…です」

俺はすぐにその3人から目を逸らした

ひたすらジャカジャカと適当に思いついた弾ける曲の1フレーズを演奏しては首を傾げてみる

その後、ゾロゾロと大学生のコピーバンドやメンバーが10代のオリジナル曲を持つバンドがライブハウスに入って来た

こんなどうしようもないハコでも人で埋め尽くされればそこそこ賑やかにはなるものだ

ちなみに、俺のライブの出番は6組中5組目

早々にリハを終えると外の喫煙所で一服

暖かい毛糸のマフラーのような風に当たりながらフィルターギリギリまで煙を摂取していると先程挨拶してくれた3ピースのバンドの1人が咥えタバコをしながら会釈をして近寄って来た

「火、いいですか?」

「火?あ、火…どうぞ」

「あざっす」

彼は深めに吸い込むと5、6秒の沈黙を作った

そしてこちらの方を向いて口を開いた

「このイベ、初めてですか?」

「そうですね このハコには世話になってますけど…今日は店長に誘われて…それで…」

「なるほど リハ見てたんですけど、あー言うのなんてヤツなんすか?フォーク?」

「んー まあ、そんな感じのヤツですね」

するとまた10秒程静かになった

ただ、今度は俺の方から話を切り出した

「ちなみにいくつなんですか?」

「俺ですか?二十歳(ハタチ)です!」

「は、はたち… いいね、はたち」

「逆にいくつですか?」

「27…今年で28」

何故かその時、吸い殻を灰皿に押し潰す時の力がいつもより強かった気がした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男女4人組の高校生バンドが自分たちで作ったオリジナル曲を披露している

グダグダのMCだったので、タイトルは忘れたが一通り目立ったミスもなく熟していく

ステージの最前列にはおそらく必死でかき集めたのであろう同級生たちが少し身体を揺らしながら群れを作っていた

俺はそれを一番後ろの壁にもたれながら眺めている 感情なんてものはない

心を無にしてステージの中心を見つめる

しかし、そんなことも束の間

次が自分の出番なので楽屋でスタンバイすることにした

ペットボトルの水を飲みながら心を落ち着かせる これはライブ前の儀式のようなものだ

しばらくiPhoneをいじりながらぼーとしているとスタッフから声を掛けられた

「式村さん!どうぞ!」

準備が整ったようだ 俺は頷いた

しかし、オーディエンスは静寂に包まれている

まあ、仕方ない 想定内だ

俺は何も迷わず板に付いた

そして、ゆっくりと幕が上がる

無難なアルペジオを奏でながら客の様子を確認してみる 

ほとんどがトリのバンド目当てだが、それでも客前で歌を歌えることは貴重だ

この世のリスナーが数千回と聴いてきたであろうコード進行で荒々しいがゆったりとしたストロークから始まる一曲目で式村 岳の自己紹介がしたかった

BPM90で自分自身を曝け出す

こんなに簡単そうで難しいことはない

"這いつくばって 日々を生きる 

 さよならを言うのは まだ早いのさ"

歌う ひたすら歌う

かき鳴らす ひたすらかき鳴らす

橙色のライトに浴びながら25分を使い切る

その思いだけでライブをしてみる

すると、次第に額から汗が吹き出してくる

感情を剥き出しにする

まるでピューマのように

激しく心を動かして振り回す

伸び切った前髪を揺らし、雫を振り乱しながらマイクにキスをする

その勢いで4曲をやり終えた俺に対する歓声はほとんどなく拍手をしてくれたのはたったの3人だけだった

「ありがとうございました」

そう言うと、俺はステージを後にしてタオルで顔の汗を拭った 

疲れ切った表情で楽屋から出ると既にトリのバンドのセッティングが始まっていた

最後はあの3人組 少し気になる

彼らの出番までに少し時間があったので再び外に出て煙草に火をつけた

すっかり夜空が顔を出していて、街頭が街を彩っていた これが下北沢の夜

煙を肺に入れ込むと、火種がパチパチと音を立てる

昼間に比べて冷たい独特の夜風が頬を撫でた

すると、扉の奥からチューニングの狂ったギターのディストーションが爆音で聴こえ出した

煙草の火を消すと、音を辿りに中へ戻ってみる

俺がライブをした時に比べると若い客層で人集りが出来ていた

ピッチの外れたボーカル、ミスタッチの目立つベース、走っているドラム

とても聴けたもんじゃない 

しかも、それはよくある失恋ソングだった

挨拶は気持ち良かったが、彼らの表現する音楽は気持ち良くなかった

ただそれに反して観客のリアクションはポジティヴに見えた

女性の黄色い歓声とおそらく3人の男友達であろう集団の叫び声

眩し過ぎるストロボを背中から浴びる二十歳の3人の演奏を目に焼き付けることにした

それは何故か 俺がこんなレベルの低いイベントにしか呼ばれないと言う既成事実を噛みしめる為に決まっている 

そんなことを考えているとライブはいつの間にか終わっていた

客も捌けていき一気に静かになったライブハウスでは今日の精算が行われていく

俺はこのノルマの為にアルバイトをしているようなもので、それは作業化し、30手前でフリーターを貫く恐怖感すら消えかかっていた

すると、店長の松田が近寄って来た

「今日はありがとうね!また誘うよ」

「こちらこそ…ありがとうございます」

二度と誘うなと心の中で返事をしつつ会釈をしながらその場を去っていった

タバコ吸って歌を歌ってギターを弾くだけ

ただ、それだけ ただ、それだけだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はその後、下北の街を少し散歩していた

飲み屋も多いこの地では何故か真っ直ぐ家に帰りたくない いつもそう思う

駅前の劇場からは恐らく役者志望であろう若い男女が冴えない顔で出てくる

ここにいる人間は夢を抱きながら夢に喰われている バクとは友達なのかもしれない

ヤツに餌を与えているようなものだ

ただ、ひたすらにトボトボと商店街の道を歩いていく 気が済むまでトボトボと

街の雑踏が1つのセッションに聴こえてくる

この演奏に俺も参加したいがそれすら出来ない

もう、どうでもいい

とりあえずコンビニに入ろうと思った

酒でも買って帰ろうと そう思った

しばらく歩くとLEDの看板が見えた

自動ドアが開くとギターケースを背負い直して店内を回ってみる

飲み物のコーナーまで辿り着くと扉の前で何かを吟味している1人の男が立っていた

俺は早く缶ビールが飲みたい

なのでその状況を早く変えたかった

「すいません…」

そう言うとその男は後ろを振り返った

「あ、さぁーせん」

そう返すと、男は位置を少しズラしてみせた

会釈をして数秒、陳列された酒類を眺めた後に扉を開けて商品を手に取ろうとする

その時だ 男と俺の目が合った

先に口を開いたのは向こうからだった

「ん?あれ…もしかして…そうだよね!」

「え?ん?…あぁ」

「岳だよな!久しぶりだなぁ」

「浩充か…こんなとこで何してんだよ」

男は髪をクシャクシャっと片手で掻く

「ライブがあったんだよ マジでめんどくせぇってお前こそ何してんだよ」

「いや…ライブが終わって…ちょっと…」

「なによ お前もライブか って今何してんの? 音楽辞めたんじゃねぇのかよ」

「お前こそライブって何のことだよ」

「はぁ…この後、時間ある?」

俺とその男はコンビニを後にして居酒屋で一杯ひっかけることにした

この男の名は冴島浩充 俺との関係性としては元々組んでいたバンドのメンバー同士にあたる

時代に逆行したアメリカンなガレージロックを垂れ流していた

活動期間は4年で二十歳の頃にお互い知人の紹介で出会ったのだが、当時のベーシストが就職活動をするとのことでバンドは解散

それ以来、誰とも連絡を取っていなかった

つまり、これは約3年ぶりの再会と言えよう

「じゃあ、とりあえず…乾杯」

俺たちはいつの間にか大衆居酒屋にいた

テーブル席で生ジョッキをぶつけるも、喧しい内装に飲み込まれそうになっていた

焼き鳥や枝豆を適当に頼み、まずは現状報告

「へぇー まだドラム叩いてるんだ」

「サポートでね 俺の友達の友達がやってるバンドなんだよ つまんねーぞ?」

「つまんねーって、どんなんやってんのよ」

「流行りのポップスだよ 聴く?ダセーぞ」

「いいよ別に つっても、俺もきっと…同じぐらいダセェよ」

「はっ 弾き語りだっけ? 昔のお前じゃ考えられねぇな」

「昔って…ちょっと前だろ」

「まあな…それより、バイト生活なんだろ?ストレスとかもあんだろーよ」

すると、俺はギターケースのポケットから小さな収納箱を取り出した

そして、それを振ってみせ、カラカラと音を鳴らしてみた

「なにそれ?薬?」

「あぁ 今はこれがないと…やってけない」

「どれ…見してみろよ」

「いいよ やめろって」

「いいから!お前見せたくて出したん…あ?」

ストラテラADHDの薬」

「なるほどな お前、そんな気してたよ」

「は? どう言うことだよ」

「バンドやってた頃から…兆候はあったよって話だよ メンバーだと分かるんだよ 物の順序とかすげー気にしてたり、落ち着かない時多かったろ?」

分かってたのか 俺は急に下をむき出した

何故か目線を合わせられなかった

凍てつく氷のような時間が流れる

しかし、その冷気を纏った時は意外な形で一瞬にして崩れ落ちる

「俺も飲んでんだよ…もっとヤベェの」

「は?急にどうしたんだよ」

リタリンだよ ははっ」

リタリン 勿論、どんな物かは知っていた

全身の血液がフォーミュラのように高速で動き出すのが分かった

生唾を飲み込み、下唇を無意識に噛む

「お前それ…冗談だろ?」

浩充はシャツの胸ポケットに入れていた赤マルを一本、着火させて眉間に皺を寄せた

「マジだよ マジ」

「だってリタリンなんて今時、処方してくれねぇだろ」

「バカ 医者から貰うかよ くれるヤツがいるんだよ 去年から毎月な」

「そう言うのいいわ…ごめん…帰る」

俺は帰りたくなった 荷物をまとめて、お代だけ置いて去ろうとする

「待てよ そんな悪いもんじゃねえよ」

浩充に腕を強く掴まれた 

俺は目の前の男の眼球2つを睨みつける

しばらくの間、この席だけ地元の図書館のような静寂で敷き詰められた

そして、向こうから切り出した

「あのな…俺たちは音楽じゃ夢見れねぇんだよだったら別の方法で夢見るしかねぇだろ」

この時、何かが始まる予感がした